獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
獣医師がストレスを感じる飼い主の性質として攻撃的な飼い主、神経質な飼い主、身勝手な飼い主、治療への理解が低く非協力的で治療を決められない飼い主があるとする研究結果があります(矢野,2014)。
この研究の中で、獣医師が業務上ストレスを感じる対象として飼い主があることを報告しています。獣医師は、飼い主との対人関係の中で処理できない葛藤を抱くことがあり、これにに起因して飼い主に対して否定的感情を抱き、これが業務上のストレスに繋がっていることを明らかにしています。獣医師が飼い主に抱く否定的感情の内訳として、飼い主が攻撃的である、神経質である、身勝手であるという性質をあげています。
獣医師がどうして飼い主をこのように認知することがあるのかを理解することは、獣医師が業務において余計なストレスを受けずに済むことに繋がり、獣医療の質の向上につなげられる可能性もあります。そこで、飼い主が獣医師にこのような性質とみられてしまう理由を交流分析的に考えてみようと思います。
獣医師がストレスを感じる飼い主
攻撃的な飼い主は、怒鳴り散らしたり、高圧的な態度をとったり、明らかに不機嫌な態度をとったりする飼い主をこの研究では指しています。
このような飼い主は自我状態で言えばCPが優位であるか、またはACの反動的な部分が出てきており、A、NPの働きは抑制されていると考えられます。何か明らかな過失が獣医師側に存在するのであれば、獣医師はそれを謝罪することが要望されます(AC→CPの交流)。しかしそのような要件がないのであれば、飼い主はCPをTPOに合わせて表現できていないため、Aが抑制される何らかの要因を有しているはずです。不安や焦りなどはAを抑制させるでしょうから、ペットの様子を心配するあまり攻撃的な態度をあらわしていることもあるでしょう。普段からAが抑制され、CPでの対応を他の人にも同様に行ってしまう人もいるでしょう。このような人であれば、普段から“キレやすく”社会性に難を抱えているはずですから、ペットの病気は孤独感を増幅することになるため、Aはさらに抑制され、攻撃的な態度がより顕在化することもあると考えられます。ACの反動として怒りを表現しているのであれば、抑圧していた自分が抑えられないほどにAが抑制され、この方はかなり混乱の状態にあることが想像されます。
このような自我状態の査定に基づいて相補交流と肯定的ストロークを基礎に対話を築く必要があります。このような場合、獣医師は自身のCに向けられるメッセージに対して相手のPに向けて相補交流を心がけます。過失がないのであれば、相手の気分を害していることに対して謝罪をすることは、自分の過失を認めることではない謝罪として具合のいい獣医師C⇄飼い主Pの相補交流を行うことができるでしょう(医療者は「謝っては裁判で負ける」と考えて、安易な謝罪はよろしくないと考えている方もいますが、謝らないと相補交流にならずますます状況がこじれる場合もあります。このときは医療処置の問題を謝るのではなく、相手の気分を害したことを謝る謝罪を行うことがよいと考えられます。)。精神的な脆弱さが重度でない限り、ずっと怒りが継続する人はいませんので、相補交流をもって飼い主の感情を充分語ってもらうことで、すこしずつ落ち着きを取り戻しAの働きが認められるようになることが期待できます。このような徴候が見え始めたら、飼い主のAに向けた対話や自身のAから発する対話を活用し、今後の現実的な対応をどう考えてゆくかを対話してゆけばよいと思います。
攻撃的な飼い主
神経質な飼い主は、獣医師の技量を試すような言動をするような獣医師への不信を持つ飼い主、獣医師が正しいと思ったことをしたにもかかわらずクレームを言う飼い主などを指します。
このような飼い主の行動も、獣医師に明らかな過失や説明不足があるならば、それを謝罪し、再度十分な説明を行う必要があります。もし、そのような要件が存在しないにもかかわらず飼い主の性質が神経質である場合の飼い主の自我状態について考えてみます。このような飼い主も批判的で独善的なCPが優位に働き、AとACの機能が抑制されていると考えられます。また「他人はnot OK」の人生態度を有していると考えられます。この神経質さは偏見・信じ込みや妄想・思い込みなど、AがPやCから汚染を受けていることも考えられます。前述のようにこのような汚染は、幼児決断や人生脚本から影響を受けています。つまり、このような神経質な性質は、普段の生活にも表れている可能性があり、その人の人生に影響を与えていることも考えられます。友人や職場、家族の中でこのような神経質さが表れると、疎んじられたり、避けられたりすることも考えられ、その人の社会性を損なっている結果を招くことになるかもしれません。こうなると、ペットへの執着心や依存心は強まることが考えられますので、ペットに対してはますます神経質になってくることも考えられます。
また、獣医師の何気ない一言に不信感を抱いてしまっているために、神経質になっているケースも考えられます。コミュニケーションは、言葉の内容だけでなく、声色・表情・発する人の姿勢など非言語的な要素も大きく関わってきます。獣医師が言葉でAから飼い主に情報の説明をしたとしても、非言語的な表現においてその情報と矛盾があったり、否定的な印象を与えたりすれば、飼い主はそのことに反応し、過度に神経質になることも考えられます。つまり、知らないうちに獣医師が裏面交流において心理ゲームを仕掛けていた結果、飼い主が神経質な態度をとるようになったのかもしれません。
このように、飼主側の要因、獣医師側の要因を俯瞰した目でアセスメントし、その問題に応じて対話の交流を見直すことで対応してゆくことが獣医師には望まれるかもしれません。基本的には、獣医師がなるべく肯定的ストロークを用いること、相手をディスカウントしないこと(ディスカウントしていることに気づくこと)、「自分も他人もOK」の人生態度で対話することが、飼い主の過度な神経質さに対応するカギになると考えられます。
神経質な飼い主
獣医師がストレスを感じる飼主として身勝手な飼い主があります。わがままを言う飼い主、夜間も時間外もいつでも診察してほしいといった無理な要求をする飼い主、ペットの命を占有しペットのことより自分の不安を優先し適切な治療を受けさせられない場合などをこの研究では身勝手な飼い主としています。
このような身勝手な行動を飼い主がとってしまうことの一つの理由に、前述しているように獣医療事例において獣医師は親(P)、飼い主は子(C)の役割を引き受けやすい状況があることが考えられます。精神分析学では退行という表現を用いますが、飼い主は子供が駄々をこねるような心理状態に陥りやすい状況が診察室には存在します。
このように身勝手な飼い主との対話交流は飼い主のCから獣医師のPに向けて発せられます。関係維持を獣医師が志向するならば、獣医師はP→Cと相補交流をすることが望まれます。ここで用いるPに関して、獣医師がCPを用いるかNPを用いるかによって、飼い主に与える印象も異なってくるでしょう。たとえば「夜間も時間外もいつでも診察してほしい」という飼主に対して「無理を言わないでください」とCPで反応するか、「不安に思わなくても大丈夫ですよ」とNPで反応するかでは印象が変わります。また、続いてCの持つ感情に対してAから反応し、「ご心配なお気持ちはわかりますよ」と飼い主の気持ちを意識した交差交流で声をかけることもできるかもしれません。飼い主が診察室でCを発揮しやすいことを理解していれば、その時の飼い主の要望に応えて、指導や指示をだすためのCPからの表現、励ましや保護を提供するためのNPからの表現、共感や気持ちを承認するためのAからの表現を獣医師は使い分けることが出来ると思います。
身勝手な飼い主に対する獣医師の対応としても、獣医師と飼い主の状況を俯瞰し、自分も他人もOKの人生態度から肯定的ストロークを用いることが望まれると考えられます。
身勝手な飼い主
もうひとつ獣医師がストレスを受ける飼い主として、治療への理解が低く非協力的で治療を決められない飼い主があります。獣医療は基本的に獣医師が医療情報からいくつかの治療方法を提示し、希望する治療方法を飼い主に選択してもらって進んでゆきます。この際、飼い主が治療方法を決定できずに、治療自体が進まない事態が生じることがあります。このような飼い主が決められないことで獣医師がストレスを感じる事象として、飼い主の思い込みが激しかったり、治療を理解しなかったりすることで治療へ非協力的であったり、獣医師が推奨する治療に同意が得られないといったことがあるようです(矢野,2014)また、不妊手術の決定などメリットはわかっていても手術をすることを感情的な理由で決定できない飼い主も存在します(矢野,2014)。これらの事例が示すことは、「飼い主が決められない」のは、飼い主の理解力の問題、診療場面で心理的葛藤が関係しているということだと思います。
理解力の問題は、飼主側の要件と獣医師側の要件が考えられます。飼主側の要件としては、飼い主がどうしても理解できないことがあるということです。たとえば、お年寄りの飼い主に難しい治療方法をすべて理解してもらうことには無理があるでしょう。このような飼い主側の要件を理解しないで「飼い主が決められない」としているのであれば、それは獣医師側に問題があります。飼い主の中には、診療場面でCが活性化することから「くどくど説明はいいから、治療してくれ」という態度の人もいると考えられます。また、理解が難しそうでも説明してもらいたい飼い主もいます。このような場合には、飼い主のわかる言葉で根気強く説明することを動物病院は望まれるでしょう。いずれの状況においても、獣医師は飼い主の話を聴き、飼い主の理解力を査定し、その理解力に合わせた表現で根気強くインフォームドコンセントを行うことが望まれるでしょう。診療方針を決めてもらわなければならない重要な場面では、獣医師は結論から説明する工夫などを用いて平易で簡略化された表現で説明しなければならないでしょう。手術しなければ亡くなるような切迫した診療場面においては「この子は手術をして助かる可能性にかけるか、亡くなるけれどなるべく苦しみを取り除く手術ではない治療をするか、飼い主さんに決めてもらわなければなりません」といったおおざっぱに二者択一式の決定をしてもらうような、情報提示の工夫も必要になってくると思います。
次に心理的葛藤が原因で飼い主が決められない場合について考えてみましょう。獣医療場面は、飼い主のC(その中でも特にAC)が活性化されますので、獣医師に対して依存的な心理が働きやすい状況です。そして、Aの働きが弱まりますので、判断力が低下します。また、依存的なAC優位な状況になるとCPが抑制され、責任をとることや決断することが難しくなってくると考えられます。ペット飼育自体がAを抑制する働きがあること、また、NP優位に働きやすいこと、共生関係が生じてしまうことなどから、CPの弱さをペットが補填しているような飼い主もいるように思います。このような飼い主側の状況を交流分析的に査定してみると、重要な治療場面で飼い主が心理的葛藤によって決められないことはごく自然に生じることが想像されます。しかし、獣医師も飼い主に決めてもらわなければ、治療を進めることが出来ません。どうすればよいでしょうか。
いくつかの方法が考えられます。一つは心理的葛藤により飼い主が決められない時、獣医師は妥当なペットの治療方法にこだわるより、飼い主の心情に焦点を当てて問題解決をはかってみるということです。決められない飼い主の横で寄り添うだけのような対応をしてみることが一つの方法です。
「病気になってびっくりしましたね。治療を決めないといけないけど決められないですよね。それで当然ですよね」
と、あたかも飼い主の目から見える景色を、獣医師自身も見ているような気持ちで飼い主に語りかけてみることです。交流分析的にいうと獣医師のAから飼い主のCに対して語りかけ気持ちに寄り添うようにすることです。これは、いわゆる受容と共感に基づいて他者を傾聴することと同じです。このような飼い主に「葛藤を持って自分はOKだ」と感じさせる関わりは、飼い主の心理的恒常性を回復させ、自律性の発揮を促します。よって、葛藤によって決められなかった態度を決めることが出来るように変容する場合も考えられます。また、たとえ治療の結果、ペットが亡くなるような事態になっても、飼い主には「獣医師に受け入れられた」感じが残り、獣医療の結果に関わらず獣医師や動物病院には肯定的な感情が生じると考えられます。また、獣医師の援助によって、「決められなくてもいいということを決めることが出来た」飼い主は、いかなる診療結果にも納得することが出来ることも考えられます。
もう一つの方法として、時間を充分にとることです。ペットロスのところでもお話ししましたが、グリーフにおける衝撃期では、人はAが抑制されるため、物事を冷静に決定することが出来なくなります。時間とともに悲痛期、回復期を迎えると徐々にAの働きから物事を判断することが出来るようになってくると考えられます。このとき、獣医師はただ単に時間をとることを提案するのではなく、
「○○ちゃんの現実を知って混乱されていることはよくわかります。治療の決定が出来ない事も当然です。治療方法の決定は○○までは待つこともできると思います。もう一度ご家族と相談されて、お話ししてみてはいかがでしょうか?」
と、獣医師のAから飼い主のCに向けた共感の姿勢を示しながら、どのくらい待てる時間があるのかという情報やその決定を一人でなく家族で決定するなどの具体的な時間の過ごし方を獣医師のAから飼い主のAに対して提示することで、飼い主が決定までの時間を有意義に構造化することを援助できると考えられます。
いずれにせよ、飼い主の話をよく聞き、飼い主の本当の願いは何なのかを理解していることが大切だと考えられます。不治の病の治療に対する飼い主の期待についての研究(矢野,2013)は、飼い主が一緒になって治療を頑張ってくれる獣医師の資質や適切な情報の中で完治を目指すのか延命するのか疼痛だけ取り除くのか治療プロセスを見極め治療したいとする願いが飼い主には存在することを明らかにしています。治療方法の決定までのプロセスを、飼い主の気持ちを聴き丁寧になぞるようにして決定する姿勢が獣医師には望まれているのかもしれません。