獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
インフォームドコンセントについて、獣医療においてもその重要性について叫ばれるようになって久しい年月がたっています。獣医療過誤による訴訟などが獣医師の説明不足、つまりインフォームドコンセント不良を争点に争われることも少なくありません。このため現在獣医療において重要な概念となってきています。交流分析を用いてインフォームドコンセントを捉えることで、獣医療においてどのように考えてゆけばよいか考察してみようと思います。
まず医療におけるインフォームドコンセントの定義や目的をおさらいすることから始めてゆこうと思います。インフォームドとは、“患者が医療情報の説明を受けること”、コンセントは“患者が説明を受けて治療方法を選択し、治療を受けることを同意すること”を意味し、簡単に「説明と同意」と訳されることがあります。コンセントという言葉の中には共同で行うという意味が含有されていて、インフォームドコンセントという言葉の中には単に説明して同意するという一方通行の交流でなく、治療者と患者が共同して行う双方向のプロセスの意味があります。このため、説明と同意と訳されないで“インフォームドコンセント”と使用されることも多い言葉です。
人間の医療におけるインフォームドコンセントの目的は、患者と治療者が治療契約を結ぶにあたって、患者の人権を擁護することと医療の倫理的原則を遵守することを適正に行うためとされています(中島ら,1995)。この目的を実現するために次の3つの要件がある程度満たされる必要があると考えられています。1つ目は、患者への医療情報の充分な提供、2つ目は与えられた医療情報を患者が理解し判断する能力、3つ目は患者が自発的に意思決定できる能力です。
この3つの要件がある程度満たされれば、インフォームドコンセントの目的を達成することができると考えられますが、その質や程度をだれがどのように判断して適正だとするかという実務上の問題を内包していると言われています。たとえば、患者への医療情報の提供をどの程度する必要があるのか、患者の理解力・判断力をだれがいつどのように評価するのか、外的な制約や内的なバイアスの影響がある患者の治療への意思決定は本当の意味で自律的に行うことができているのか等についてはっきりした取り決めがあるわけではありません。
そして、説明してきたパターナリズムやお任せ医療関係の関連から、治療者の裁量によっては、インフォームドコンセントが本当に人権の擁護や医療倫理の遵守のために用いられるのか、それとも治療者が医療訴訟を避ける“いいわけ”のために用いられるのかといった、患者本位の医療から外れるために用いられるインフォームドコンセントの問題を包含しています。人間の医療においてもインフォームドコンセントについて細かく見てゆくと様々な問題をいまだに内包していることが分かります。
さて獣医療におけるインフォームドコンセントはどうでしょうか。獣医療においてインフォームドコンセントは獣医師と飼い主の間で治療契約を結ぶために行われ、治療主体のペットではない飼育責任者である飼い主が代理判断するところに医療との相違点があります。つまり、治療契約を結ぶために用いられる獣医療のインフォームドコンセントでは、治療客体である飼い主のバイアスの影響を大きく受けてくることになります。
一般的に獣医療の治療契約は次のような診療手順に従って結ばれてゆきます。飼い主は診察室で患者であるペットの主訴を訴えます。獣医師はその主訴や動物種、年齢、性別、飼育方法などの情報を問診し、一般的な身体検査を行って患者であるペットの問題点を把握します。主訴の原因になっている鑑別診断を不可分なく列挙し、その鑑別診断を選別するための検査の必要性やそれにまつわる費用を飼い主にインフォームドします。飼い主がこの診療過程や説明に同意したうえで治療契約を結び、検査を行います。検査の結果から選別された鑑別診断(この時点で確定診断に至ることもある)を基に治療法を飼い主に提示し、その方法と治療費についてインフォームドコンセントし、飼い主の同意を得られれば治療を行います。獣医療においてはこのようにインフォームドコンセントは飼育責任者である飼い主に対して行われ、飼い主と治療契約を結んで治療行為が行われる過程をふみます。
獣医療のインフォームドコンセントの目的は、人の医療同様、患者の人権を擁護することと医療の倫理的原則を遵守することです。しかしながら肝心の治療主体のペットには人権も治療の選択権も存在しないため、守られる人権や医療倫理は、まず飼い主に帰属するものとなります。そして、インフォームドコンセントにおいてペットに対して守られなければいけないと考えられる権利や原則は、ペットが苦痛なく生きられることや、動物がその動物種らしい生活を送れること等の動物愛護上の動物の権利や、それを実現できペットや飼い主が許容可能な獣医学上及び金銭上の妥当な診断・治療方法がとられているかなどの原則と考えられます。
獣医療のインフォームドコンセントにおいて現在関わってくる飼い主とペットの権利における法制上の制約は、憲法に保障される基本的人権や獣医師法、動物愛護法、狂犬病予防法、薬事法、各自治体における条例などであり、明確な法制上の制約はありません。つまり、獣医療のインフォームドコンセントで守られなければいけないペットの権利や原則は、各動物診療機関の良心や判断に委ねられているという側面があるといえます。
川本(2011)は、法学的な観点から獣医療におけるインフォームドコンセントについて考察しています。その中で、獣医療のインフォームドコンセントが法的には獣医師のイニシアチブのもと、獣医師と飼い主の共同の意思決定からおこなわれる必要があることに触れています。また、川本は獣医療におけるインフォームドコンセントの内容に含む必要があるものついて整理しています。その中で、日本獣医師会の「インフォームドコンセント徹底宣言(1999)」を参照して、受診動物の病状および病態、検査や治療方針・選択肢、予後、診療料金への説明と同意が、社団法人千葉県獣医師会「千葉県獣医師会獣医師倫理綱領 (2002)」を参照して、獣医師の品位・品格の感じられる言葉使いや態度が獣医療のインフォームドコンセントの内容に含まれることに言及しています。獣医師法にはインフォームドコンセントに関する法規定は存在せず、「獣医師は、飼育動物の診察をしたときは、その飼育者に対し、飼育に係る衛生管理の方法その他飼育動物に関する保健衛生の向上に必要な事項の指導をしなければならない」とする第20条を拡大解釈して法的には援用するしかないのかもしれないとしています。現時点の裁判判例では、このようなことを踏まえ解釈されていることを報告しています。
インフォームドコンセントによって実現される獣医療における医療倫理の原則についても、人の医療倫理の原則にのっとればよいという単純なものではありません。山村(2015)は、小動物獣医療において絶対ゆるぎない正しい小動物獣医療倫理規範というものが存在せず、獣医師は診察室で医者、学者、易者、役者の4者を演じる必要があることを述べています。獣医療は「真実を告げる」だけでなく、ときに「善意のだまし」を行う必要があることに触れています。山村も、法律上の獣医師の義務やペットの法律上の取扱いの問題、治療客体の飼い主に対してインフォームドコンセントする構造上の問題、自由診療を主とするサービス業としての側面を持つ獣医療の問題がこの獣医療における職業倫理に関わってくるため、飼い主との信頼関係から常に適切かつ責任ある対応によって獣医師が判断してゆく必要があることについて言及しています。
このような議論を踏まえると、獣医療におけるインフォームドコンセントについて、①それは獣医師のイニシアチブのもと、獣医師と飼い主の共同の意思決定からおこなわれる必要があること②その目的は患者の人権を擁護することと医療の倫理的原則を遵守することであるが、決められた規定が存在しないので獣医師個人の良心や飼い主との信頼関係にその遵守が関わってくること③インフォームドコンセントの目的を実現するため、患者への医療情報の充分な提供、、医療情報を患者が理解し判断する能力、患者の自発的な意思決定能力の3つの要件がある程度満たされることが必要なこと④そのためインフォームドコンセントの内容として少なくとも受診動物の病状および病態、検査や治療方針・選択肢、予後、診療料金への説明と同意を含み、獣医師の品位・品格の感じられる言葉使いや態度からおこなわれなければいけないこと等の注意点があることが分かります。
このようなことを踏まえて獣医療におけるインフォームドコンセントをどのようにとらえてゆけばよいか交流分析から検討してみようと思います。
①インフォームドコンセントは獣医師のイニシアチブのもと、獣医師と飼い主の共同の意思決定からおこなわれる必要があること
インフォームドコンセントは受け身である飼い主やペットの方からおこなわることは考えられません。そこで獣医師がイニシアチブを持ってインフォームドコンセントは実施されなければなりません。しかし、マルプラクティス(不正医療)にならないよう獣医師の倫理性や良心からおこなわれなければなりません。ということは、獣医師は自我状態Pと自我状態Aが充分に活性化された状態であることがインフォームドコンセントを適正に行うための条件になってくると考えられます。
獣医師とスタッフの心理でふれたとおり、パターナリズムと反パターナリズムのせめぎ合いの中で、獣医師は、獣医師P⇄飼い主Cの交流を踏まえながら獣医師A⇄飼い主Aの交流を目指す努力や、交流の中でディスカウントに気づき改める努力をする必要があることを論じました。インフォームドコンセントは獣医師がイニシアチブをとる必要があるため、積極的にディスカウントのない獣医師P⇄飼い主Cの交流を用いる必要がありますし、また、共同の意思決定ということは獣医師A⇄飼い主Aの交流も重視する必要があるということがいえると思います。
②その目的は患者の人権を擁護することと医療の倫理的原則を遵守することであるが、決められた規定が存在しないので獣医師個人の良心や飼い主との信頼関係にその遵守が関わってくること
③インフォームドコンセントの目的を実現するため、患者への医療情報の充分な提供、医療情報を患者が理解し判断する能力、患者の自発的な意思決定能力の3つの要件がある程度満たされることが必要なこと
②、③の要件を実現するには、獣医師は充分にAを働かせてゆく必要があります。まず、医療情報の充分な提供のために、エビデンスに基づく客観的で正確な獣医学知識を獣医療事例に応じて不可分なく提供できる獣医師の技量が必要になります。それを踏まえて、獣医療に関係する人の心理や関係に対してAを働かせて行くことになります。
飼い主の理解・判断力の査定には、飼い主のエゴグラムが応用できると思います。飼い主のエゴグラムを類推しながら相手が理解できること、出来ないことを獣医師が判断し、相手のわかる方法でインフォームドコンセントを提供することが必要となってきます。
飼い主の自発的な意志決定能力の把握も飼い主のエゴグラムが応用できます。対話分析やパターナリズム・お任せ医療関係の影響、獣医師P⇄飼い主Cの交流のメカニズムの理解、飼い主との交流時に獣医師に生じる違和感の意味を念頭に置きながら、飼い主との交流のなかで飼い主のできる限りのAを引き出す交流を工夫することによって自発性を最大限発揮させることができるかもしれません。
そして、治療がディスカウントのない飼い主との双方向性の交流によって、共同作業で作り上げられることを獣医師がAで俯瞰することが求められてくると考えられます。獣医療は法的に守られることが不十分なペットと治療客体である飼い主にインフォームドコンセントを行わなければならない制約を理解し、交流分析を応用した獣医師のAで俯瞰した状況で、「今ここ」の相手(ペットと飼い主)の状況合った方法でインフォームドコンセントと治療契約をオーダーメードに作り上げられないといけないと考えられます。
④そのためインフォームドコンセントの内容として少なくとも受診動物の病状および病態、検査や治療方針・選択肢、予後、診療料金への説明と同意を含み、獣医師の品位・品格の感じられる言葉使いや態度からおこなわれなければいけないこと
公に承認されている獣医療のインフォームドコンセントの内容は存在しません。しかしながら獣医師会の宣言や倫理綱領によってここに記載された内容をインフォームドコンセントに含むように推奨されています。よって最低限この内容に触れたインフォームドコンセントをするように獣医師は心がけるべきであると言えます。先に述べたように、その方法は、ディスカウントのない獣医師のAに基づく獣医師-飼い主関係の俯瞰や双方向性の交流の中から生まれてくると考えられます。
獣医療におけるインフォームドコンセントは、相手や事例によって臨機応変の対応が必要になってきます。その際、獣医師のディスカウントのないAからの判断によって飼い主と共同作業で治療契約を作り上げる必要があり、獣医師-飼い主の双方向の交流パターンを理解することは、適切なインフォームドコンセントを実現することに繋がってくると考えられます。