交流分析的に獣医療を評価するとき、獣医師・飼い主とも本来有する自律性を発揮するため、「Aの活性化」を目指すことが大切であるということを本ウェブサイトでは説明してきました。Aを活性化するということは、「自分も他人もOK」「他人と過去は変えられず、自分と未来は変えられる」を原則に、今ここで感じていることを適切に感じ取り、問題解決を行うための現実的な思考を行い、柔軟な姿勢で妥当と考えられる行動を行うことです。獣医師が診察室の中で「Aの活性化」を行うのは、ペットの病気をエビデンスに基づき診断し治療するときです。しかし、獣医師がAで判断すべきなのは治療診断の論理的整合性だけではありません。今までの議論から、獣医師が「Aの活性化」を行う必要があるときは、飼い主の状況や気持ち、スタッフの状況や気持ちを思いやり、評価し適切に対応するときでもあると考えられます。交流分析的に獣医療を考えると、獣医師は本業である治療業務だけでなく、飼い主やスタッフといった人に対して適切に対応することで、社会的に要求されることに合致したサービスを提供できるようになると考えられます。

 これまでの議論から飼い主やスタッフの状況や気持ちは、交流分析の理論によってある程度類推することが可能であることを説明してきました。そして獣医師が自分自身の気付きを深めることも業務上必要になってくることも説明しました。獣医師は自分もOK、他人もOKの人生態度の観点対話分析の観点ストローク理論の観点人生脚本の観点から、飼い主やスタッフに対する自身の交流様式、ソーシャルスキル(social skill;表出される言動等、社会的に要求される対人交流の技術)を意図的にコントロールすることで目の前のその人に今ここで必要なサービスを提供することができるようになるはずです。そして獣医師は自分と治療をコントロールする必要はあるが、相手である人をコントロールすることはできないことを自覚することで、全ての人の価値観を受容し業務にあたることができるようになると考えられます。

 近年、サービス業界で過度のクレームを言う人たち(クレーマー)が問題になっています。動物病院も例外ではありません。クレーマーの他にも「動物病院にとって困った人」はときどき遭遇します。たとえばペットを異常に擬人化し扱う人、自己本位な飼い方でペットを病気にする人、動物を虐待する人、動物病院に無茶な要求を言う人などです。明らかな動物病院の過失が原因で「動物病院にとって困った人」に遭遇したのであれば、動物病院はそのことを真摯に受け止め、サービスの改善に努めなければなりません。動物病院の明らかな過失に思い至らないのであれば、「動物病院にとって困った人」は、その人の人生態度や人生脚本の影響を受けて“やむを得ず”そのような行動を行ってしまっているのかもしれません。そして、ディスカウントのないストロークを与えてくれるペットの存在によって“なんとか”自分を保つことができているのかもしれません。このような人たちの“背景(文脈)”を交流分析的に理解すれば、獣医師は動物だけでなく人の援助につながる仕事ができるのではないでしょうか。人と動物の絆(human-animal bond)を具体的に実現するために、獣医師はAによって、診療の論理性だけでなく、飼い主やスタッフや獣医師自身の気持ち・性質・人生全般を俯瞰して業務を行う必要に迫られているのかもしれないと私は考えています。

社会構成主義とナラティブ・ベイスド・メディスンと交流分析

 社会構成主義という概念があります。人間の周りに生じている現象のあり方を説明するための概念です。社会構成主義とは、社会的構築主義(social constructionism)とも言われ、一言で言うと「現実は言語により社会的に構築される」という認識形式からなる現象認識論です(横山,1999;Berger & Luckmann ,1966)。人が現実の現象を認知することが出来るのは、言葉によって象徴化されている記憶の集積から構築されたものを体験するからだとする考え方です。社会構成主義では、人は言語(テクスト)を用いて他者と交流することで生じた意味や概念や理解(ディスコース)を体験するから現実を認識できるのだと考えます。そして、この現実は人との交流や対話の繰り返しの中から少しずつ変化しつづけ、まるで縦糸と横糸が織物を織りなすように形成されていくと考えます。

 人がこのように現実を認識しているのであれば、たとえ同時に同じ体験をしようとも“わたし”が体験していることと“あなた”が体験していることは厳密にいうと同じだと言い切れないということになります。たとえば、診察室で黒いダックスフントを獣医師と飼い主が同時に見ているとしても、“黒い”色を見るという体験は飼い主と獣医師で違うかもしれないし、“ダックスフント”という犬の形や鳴き声が同じと体験されるとは言えないということを社会構成主義では主張します。つまり社会構成主義によれば,主観と客観双方から確認される普遍的真実(真理)の存在は仮定出来ないので、究極に全ての人が一致しうる真理と呼べる現実は存在しないとしています。世の中のすべての人にとって正しいことは存在せず、その人が主観的に体験している現実だけがその人にとって正しいのです。そしてこの主観的体験は他者との交流によって少しずつ変化したものとして創出されてゆきます。まるでその人の中で物語が形作られてゆくように。

 心理療法の一つであるナラティブ(物語)セラピーを提唱したMichelとDavid(1990)は、物語を語ることは、その人の矛盾した体験を統合する効果が期待できるとしています。この考え方によれば、人の中で生じている矛盾や葛藤など主観的体験を語り、それを受け止めてくれるように聴いてもらうことは、“悩み”として否定的に体験していたことが、他の意味を創出しつつ、自分の中で豊かな意味があったこととして、肯定的な体験も含めて意味づけるような効果が期待できることを示しています。社会構成主義の考え方は、心理療法であるナラティブ(物語)セラピー(Michel &  David,1990)の理論的根拠の中核をなしています。人のもつナラティブ(物語)を社会構成主義に則って扱うことが、治療的な意味があることをナラティブセラピーは実践によって表しています。

 人間の医療は、その科学的発展と相まって、診断機器や治療法が高度に進歩しました。このことに伴い、医療は内科、外科、循環器科、整形外科、皮膚科、精神科など臓器ごと、疾病ごとに細分化し分業されるようになりました。医療データなどの論拠に基づく医療(EBM)を推進し、効果のある医療を受けることができる恩恵を得ることができるようになる反面、この医科学的手法の影響もあって、“病気を見て人を見ず”といった人間存在が軽視された非人間的な傾向が医療において助長されることに繋がりました。このため、患者の人格が阻害された医療行為が認められるようになったり、機械的にその医療行為を行う医療従事者の業務における充足感が低下したり、人の満足感を低下させる結果を生むことに繋がっています。このような反省から、医療においても社会構成主義を応用し、人が患った病気をその人の持つナラティブ(物語)の一つと捉え、全人的に医療を提供しようという医療方法論がが生じてきました(Greenhalghら,1998)。このような医療方法論をナラティブ・べイスド・メディスン(Narrative Based Medicine;NBM 物語と対話に基づく医療)と言います。

 NBMは、EBMを補完すると言われています(斎藤ら,2003)。科学的根拠(エビデンス)に基づいて医療を行おうとするEBMは、一見すると科学的でないNBMと相反するように考えられます。しかし、斎藤はEBMを目の前の患者にとって最良に利用するためにNBMが利用できることを示しています。NBMから考えるとEBMも“医療における一つの有力な物語”と考えることができ、医療従事者が抱く物語の一部であると指摘しています。NBMは複数の物語の併存や共存を許容し、対話の中で新しい物語が想像されることを重視するため、EBMの特徴や限界を理解しながら医療者によって用いられるとき、NBMによってEBMの限界である質・量の不足、医療者バイアスの影響、確率性等の弱点を補完できるのではないかと指摘しています。また、EBMをNBMに併用することで、診療の中で生じる不適切な物語が独り歩きすることを防ぎ、NBMの弱点を補完することができるとしています。

 理解を深めるために冒頭に紹介した皮膚病の見立て(診断)を題材に、獣医療を社会構成主義的にNBM的に考えてみようと思います。獣医師である私は、臨床症状や検査結果とPOMRやPOS、SOAPを基にした仮説-演繹的な推論から皮膚病を診断し治療しようとしました。EBMで説明してきた病気の診断・治療に対するオーソドックスなアプローチ方法です。社会構成主義の考え方からすると、この診断は、私のナラティブのひとつであるといえます。このナラティブは、私や獣医学の知識を基に診断する獣医師には通用する現象の見方ですが、獣医学的な素養、獣医学的な文脈を持たない人からは、良くわからない異質なものかもしれません。そして、この診断は、過去の獣医学的エビデンスと論理的思考から導き出されていますが、今、目の前にいるペットにあてはまるかわかりませんし、依って立っているエビデンス自体が100%真実かどうかは確かめようがありません。即ち、私が導いた診断は厳密にいうと過去のデータから導き出される推論であって真理ではないのです。そして、飼い主が皮膚病に対して有害だと説明を受けながらも、ジャーキーを与えたり晩酌をしたりしたい気持ちや皮膚病を治したい気持ちは飼い主に実在する紛れもない事実、ナラティブであるということができます。

 獣医療行為は社会構成主義的に評価すると、獣医師が依っている基盤も盤石なものではないし、飼い主の気持ちはその人にとっての真実で、同じペットを見ていても、見ているものが全く異なっていることが明らかになってきます。社会構成主義は、現実が人と人との対話によって織物を織りなすように形成されてゆくとしていますので、獣医師が飼い主のナラティブを受け入れて話を聴くこと、そして飼い主のナラティブを理解する努力を最大限して獣医師が語ることによって、獣医師の中の現実、飼い主の中の現実は少しずつ変容することを示しています。このことは、獣医師と飼い主が同じ現実を見ることが出来ないまでも、お互いに異なるナラティブを持っていることを理解、尊重したうえでコミュニケーションのあり方や現象の認知のあり方を工夫することによって、双方にとって意味のある豊かな現実認知(ナラティブ)に変容してゆけることを意味しています。このような配慮のある適切な関わりによって、人のナラティブが再構成されることをオルタナティブストーリー(代替された物語)の構築と言います。

 飼い主は病気になるとわかっていても食べ物を与えたいと思い、獣医師は病気の原因を見て食べ物をあたえてはいけないといいます。ペットである動物がどう考えるかは、わかりません。ペットは食べたいという仕草はすると思いますし、もらってうれしい感情表現をしますから食べたいともいえますが、その後起こるだろう皮膚病のことを予期することは不可能と考えられるため、その事まで踏まえて食べたいと思っているかは分かりようがありません。社会構成主義的に考えると獣医師がするべきことは、飼い主の現実世界(ナラティブ)、獣医師の現実世界(ナラティブ)、ペットの現実世界(ナラティブ)を尊重する気持ちとすべてが真理でないという認識を持ちながら、この獣医療現象を鳥が空から眺めるような大きく広く公平な目で見て、飼い主‐獣医師‐ペットが適切に交流できるようにすることではないだろうかと考えます。獣医療現象を俯瞰すると言い換えることもできると思いますし、獣医療現象をメタ認知する意図的・計画的な行動をスムーズに遂行するために、自己の認知活動を監視し行動目標に沿って評価し制御すること)ということもできるでしょう。このことを実現するために交流分析の自我状態の理論対話分析の理論ストロークの概念人生態度の概念心理ゲームの理論時間の構造化の理論人生脚本の理論は、獣医師にとって大きな武器になるでしょう。

 獣医療を俯瞰する、獣医療をメタ認知するとき、獣医療とは何なのでしょうか。飼い主個人からは何を求められ、広く社会からは何を求められているのでしょうか。我々獣医師はその業務の中で果たすべき目的は何なのでしょうか。一つ言えることは、獣医療を俯瞰してメタ認知するとき、獣医師が病気のペットの治療をすることが獣医療の果たすべき役割の1つにすぎないことが分かります。前述した交流分析的な飼い主の自我状態の理解交流分析的なペットの役割が示すことから、飼い主が獣医療に望むことは、厳密にいうと「ペットを治療してほしい」ではなく、「病気になったペットをひっくるめて私の抱いている不安を何とかしてほしい」だと考えられるからです。多くのケースでは、ペットを治療することだけで飼い主の不安を取り除くことも出来ると思います。しかし、不治の病であるペットを治療するとき、ペットを治療するだけでは「飼い主の不安」を軽減する役割を獣医師は果たすことができません。飼い主の性質や願望、飼い主とペットとの関係、ペットが死ぬということへの認識、愛と依存の認識を含めた、人やペットとの交流で生じる現象についての理解が必要になってくると考えられます。そして、獣医師が自分自身の性質・人生態度・幼児決断・人生脚本を知り、その特性を生かした関わりを飼い主、スタッフ、社会と持つことによって、はじめて獣医師は社会的な要請に応えられるのかもしれません。

 獣医学は獣医療“技術”しか示してくれていません。獣医現象の俯瞰・メタ認知を伴った獣医療は、その“技術”を人の幸福に繋げられる橋渡しをします。交流分析は、人の自律性の確立を目標にしているため、人が幸せに生きていくための方法をわかりやすい言葉で説明してくれているので、どう獣医療技術を使用すれば人を幸せに出来るのかの羅針盤として機能させることが出来ます。つまり獣医療の俯瞰・メタ認知を行う際、交流分析は獣医療技術を人間の幸福に生かす説明書になると考えられます。しかしながら、より良く獣医療を俯瞰・メタ認知する方法は、交流分析の知識だけでは充分でないとも考えられます。ペット飼育へのニーズの要因は現在の社会情勢や経済状況の影響も受けます。民族性や宗教などの影響も受けると考えられます。このような要因を統合して今後より良く獣医療を俯瞰・メタ認知する方法論を拡充してゆく必要はあると思います。

 本ウェブサイト冒頭にある皮膚病治療の結論は、獣医師は獣医師のナラティブを根気強く説明する、そして、飼い主の不適切な食べ物を与えたい気持ちや現実も受け入れる、そして、「自分も相手もOK」、「過去と相手は変えられず、自分と未来は変えられる」ことを意識しながら、交流分析的に妥当な交流を根気強く続けてゆくと、獣医師と飼い主にとって意味のある結論がきっと生まれてくることになるということを信じ治療してゆくということになると思います。

 本ウェブサイトでは、交流分析によって獣医療をより良くする工夫を紹介しました。交流分析を応用して獣医療を俯瞰・メタ認知すると獣医療がペットを治療するだけでなく、人の不安を取り除き、ひいては人や動物の幸福を目指すことを実現できるという獣医療パラダイムのシフトが起こるのではないかと考えています。本ウェブサイトが、動物、ペット、それに関わる人間すべてが幸福になる世の中を実現するための小さな力になれればと願います。

ペット飼育や仕事に対しての考え方、性質、人生態度や人生脚本など、交流分析を通じて獣医師と飼い主の背景(文脈)を俯瞰できれば、もっと獣医師と飼い主が見えてくる

 
 

獣医療を俯瞰する