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 ペットを飼育する飼い主によって獣医療へ要求する質と量のニーズに違いがあります。どこまでもお金をかけてでも最良の獣医療を希望する飼い主もいれば、動物だから適当なところで治療を切り上げたいとする飼い主もいます。この獣医療へ要求する質と量のニーズの違いはどこにあるかを知ることは適切な獣医療サービスを提供するうえで、獣医師が興味をもつところです。

 どのような要因が獣医療の質と量の決定判断を行う基準となっているのでしょうか。お金をかけられるか、かけられないかはその判断要素の一つではありますが、本ウェブサイトでは趣旨が異なるため、除外して考えてみます。

 飼い主がどのくらい自分のペットに愛着を持っているのかという「ペットへの愛着度」は、ペット飼育が人に与える効果について語られるとき、評価しなくてはならない要素です(Gunter ,1999)。ペットへの思いが強い飼い主ほどペットから様々な影響を受けやすいからです。ですから飼い主の獣医療へのニーズの違いを考えるうえで、飼い主のペットへの愛着の度合いは見落とせません。

 前述したとおりペットへの愛着は“愛”と“依存”に分けることができると思います。そして交流分析的に愛着を評価するとき、飼い主がペットを愛しているのか、もしくは依存であるのかを評価することによりその人が「いま」自律性を発揮して生きているかある程度理解できることを述べました。このような観点によってその飼い主の人生脚本を評価すると、飼い主が獣医師に望むことがあぶりだされてくるのではないかと思います。飼い主が勝者の脚本を生きているのか、敗者または非勝者の脚本を生きているのかということによって、飼い主のペット飼育の意味も変わってきますので、獣医師に望まれるサービスも変わってくるのではないかと考えられます。

 愛着の深さは、飼い主が獣医師に望む治療行為に大きく関わってくると思います。愛着が深ければ、飼い主は最新・最善の獣医療での治療を望むと考えられますし、愛着がそれほど深くなければペットが病気になっても治療しない場合も考えられるからです。ここで言う愛着の深さは、「ペットとの心理的距離」と言い換えることができると思います。そして「ペットとの心理的距離」が近ければ、ペット思いの愛のある飼い主かというとそういうわけでもありません。ペットとの心理的距離が近い場合、ペットへの“愛”が深いこともありますが、ペットとの“依存”が深い場合も考えられるからです。前述のとおり、愛からの行動はAの統制のもとP・CがTPOに合わせて表現されていることを見ることができます。依存からの行動は何らかしらのディスカウントペットとの共生関係を見ることができます。このような交流分析的なペットの心理的距離の理解は、飼い主のペットへの愛着が“愛”なのか“依存”なのか(質)、深いのか浅いのか(量)の認識を獣医師にもたらし、飼い主が獣医師に望む治療行為に獣医師が適切に応えてゆく指針になると考えられます。

 ペットへの心理的距離の量と質の評価を行う際、必ず考慮しないといけないことがあります。それは、次節で説明しますが、診察室において飼い主のAは抑制されやすい傾向があるということです。つまり、診察室では飼い主のペットへの愛着行動において、自我状態の機能(CP・NP・A・FC・AC)の否定的な部分(簡易エゴグラム傾向チェック表 の各自我状態の〈過剰な働き〉や〈不足〉)が表現されやすいということです。診察室で飼い主のAが抑制されているとしても、日常的に抑制されているとは言い切れないことになります。診察室で飼い主のAが抑制される傾向があることを考慮してペットへの心理的距離の量と質の評価を行わなければなりません。

 ここで強調しておく必要があるのは、獣医師は業務を遂行する時「他人と過去は変えられない。自分と未来は変えられる」「自分も他人もOK」の姿勢が貫かれていることが大切だということです。飼い主がペットを“愛”していても“依存”していても、愛着を抱く飼い主にとってペットは重要な存在です。どのような愛着を抱こうとも飼い主はOKです。そして獣医師に望まれるのはその善悪の判断や飼い主を変えることではなく、飼い主の要望に応えることです。ただ、全ての要望というわけではありません。交流分析的に考えて“応えると害を及ぼすだろう要望”には応えない方が賢明です。たとえば、獣医師が飼い主の誘ってくる心理ゲームに乗ること、飼い主の特有の歪んだラケット感情にストロークを与えることなどは避けた方がいいと考えられます。つまり、獣医師が飼い主の敗者または非勝者の人生脚本にストロークを与えることは、本当の意味で飼い主の要望ではないということはおさえるべきポイントです。

 このようなことを踏まえて考えると、獣医師はペットの病気の治療をすることだけでは、飼い主の要望に応えられないのではないかということまで考えることができます。エビデンスに基づく診断を行い、インフォームドコンセントののち妥当な治療を提供する努力をするのが獣医師の役割の大前提となります。本当の飼い主の要望は、病気の治療を通じて、ペットにまつわる飼い主の抱く心配・不安・葛藤を取り除く手伝いをすることではないかと思いを巡らすことができます。

 通常の獣医診療において、単にペットの病気を治すことで飼い主の心配・不安・葛藤が取り除かれるケースが大半だと考えられます。しかし、ペットへの依存の問題共生関係の問題を持つ飼い主にとって、ペットが健康になることだけでは、ペット飼育の動機に関連した人生脚本幼児決断not OKの人生態度が引き起こす飼い主の問題は解決されないと考えられます。むしろ獣医師は、飼い主を「治療対象のペットの○○ちゃんの飼い主」という存在だけでなく、「○○ちゃんと生活することで幸福や不幸を享受している存在」として全人的に捉えて獣医療を提供することが望まれており、このような飼い主認知のもとペットを治療することではじめて飼い主の要望に応えられるのではないでしょうか。

 このような視点に立つと飼い主と“繋がる”ための効果的なコミュニケーションは、獣医療における骨幹であるといえます。飼い主の本当の要望に応えられるコミュニケーションを実現するツールとして、交流分析的な飼い主の理解、獣医師自身の理解は大きな武器になると思います。獣医師の「自分も他人もOK」の人生態度と対話分析の理解から飼い主と十分な対話を行うこと、獣医師と飼い主の間で引き起こる心理ゲームについて理解すること、ペット飼育に関わる飼い主の人生脚本に基づき治療計画を提示し治療契約を結ぶこと、Aが抑制されやすいペットとの関係や獣医師‐飼い主関係の理解から飼い主のAに向けた対話を志向することなど、交流分析を応用した獣医療理解は、獣医師が飼い主の要望に応えるために力を発揮すると考えられます。

飼い主が獣医師に望むこと 〜交流分析からの考察

飼い主が獣医師に望む治療行為 ペットの治療と飼い主の不安のケア

飼い主が獣医師に望む治療行為は、

ペットの治療行為

飼い主とペットを全人的に捉えたうえでの治療行為

だけでなく

ではないだろうか。

飼い主が獣医師に望むこと
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