獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
人が持つ人生態度はラケット感情と密接な関係があります。特有のラケット感情を抱いているとき、人は第二から第四の立場いずれかの人生態度をとっています。ラケット感情に気づければ、その時取っている人生態度に気づくことができます。
獣医師は「自分はOK、他人はOK」の第一の立場の人生態度を持って日々の業務にあたることが望まれるでしょう。しかし、状況によっては飼い主や病院スタッフとのコミュニケーションの中で、“くよくよ”(第二の対場)、”イライラ“(第三の立場)、”どうせ・・・“(第四の立場)というラケット感情を抱くことがあると思います。このようなラケット感情を抱いているとき、獣医師は「自分はnot OK、他人はOK」「自分はOK、他人はnot OK」「自分はnot OK、他人はnot OK」いずれかの人生態度に浸っています。一日の中でも人生態度の揺らぎがあって当然ですし、どの人生態度に浸っていてもそれ自体は決して悪いことではありません。人である以上人生態度の歪みを必ず持っているからです。しかし、「自分はOK、他人はOK」以外の人生態度に浸っていることに気づかず、その人生態度に固着してしまう傾向がある場合、自律性を損ない、飼い主やスタッフとの親密な人間関係を築くことに悪影響を及ぼします。たとえば、第二の立場に固着してしまうのであれば、自分に自信がなく問題解決を回避しがちであるため、頼りない獣医師に見られてしまうでしょうし、第三の立場に固着してしまうのであれば、自分本位で相手を受け入れられないため、強権的な獣医師に見られてしまうでしょう。第四の立場に固着してしまうのであれば、世の中に対して不信と怒りを持っており、そもそも適正に業務を執り行うことができないでしょう。このように獣医師が第一の立場以外の人生態度に固着して業務を執り行うと、相手に害を与える可能性があります。自分のもつ人生態度における傾向に気づいていること、そして、もし歪んだ人生態度に固着してしまいがちであれば、そのことに気づいて人生態度の固着をやめて変容するように努めることは、自律性を回復し相手との親密な関係を回復させることに繋がってゆきます。このような意味で獣医師が自分の人生態度とそれに伴うラケット感情について気づくことは、業務を適切にとりおこなうために必要になってくると考えられます。
自分や相手の人生態度とそれに伴うラケット感情に気づくことは相手に害を与えないように業務を執り行うことを実現できるということ以外に、獣医師にとって助けになる2つの情報を提供してくれます。
1つは人生態度とラケット感情が自分の持つ人生脚本にそのまま通じているため、自分の人生脚本に気づくことができるということです。前項で獣医師という職業を選択した理由が人生脚本に通じている可能性について説明しましたが、優勢になりやすい人生態度とラケット感情に気づくことができるともう少し詳しく自身の持つ人生脚本を知るヒントを得ることができます。
獣医師は基本的に動物が好きな人が目指す職種です。この傾向が人生態度に繋がっていると考えられます。どのような傾向によって動物が好きなのか、人生態度とラケット感情に気づくことで自分の中で整理することができます。動物が好きと言っても、いろいろな好きがあります。犬や猫だけが好きという場合もあると思いますし、昆虫や魚、爬虫類、鳥類、牛や馬や豚まで含んで動物が好きという場合もあります。ペットを飼育して所有し一緒に生活するのが好きだとか、その生態を観察するのが好きだとか、はたまた所有するのではなく野生の状態を観察するのが好きだとか、動物好きでもその種類や状況でいろいろな好きに分類されると思います。この“動物を好き”という傾向をよく検証するとラケット感情に繋がっていることがあります。
たとえば、動物が好きで獣医師を目指した理由が、“自分は not OK”と考えがちな自分をペットが癒してくれたことがあったためであるとか(第二の立場)、ペットのお医者さんになることによって「先生」と呼ばれる優越感に浸ることが出来ることを望んでいたとか(第三の立場)、うまくいかない人との関係で抱いた絶望感をペットとの関係で補填できた経験がありそんなペットに何とか貢献したかった(第四、第二の立場)、とかであるならば、この獣医師志望の動機はラケット感情が関連しています。このように、獣医師志望の理由が関係するラケット感情をひも解いてゆくと、自分がなぜ獣医師のこの仕事を選んだのか、自分がどうすることを望んでいるのかということまで理解することができる可能性があります。
もう1つは、飼い主やスタッフの理解に繋げられることです。他人の言動を観察すると、ラケット行動を認めることがあり、そこからその人の有する人生態度を想像することができます。相手の人生態度やラケット感情の傾向に気づくことが出来ると、その人に対してどのように接すれば適切に対応できるかということのヒントになることがあります。ここで、注意しなければいけないのは、自分自身のラケット感情や人生態度の傾向、そして人生脚本の傾向に気が付いていなければ、相手の人生態度の理解にも歪みが生じてくることです。自分が第一の立場の人生態度から相手を評価しないと、色眼鏡をかけた評価となり、偏見を持って相手を評価してしまいます。そして、間違えてはいけないのは”他人は変えられない“ということです。相手の人生態度が「自分はOK、他人はOK」でなかったとしても、それを指摘して変えることはできません。そして他人の人生態度が「自分はOK、他人はOK」でなかったとしても、”他人はOK“なのです。人間は自分自身でしか自分を変えることができません。もし相手の人生態度が歪んでいてラケット行動が目立ったとしても、獣医師ができることは相手の人生態度に応じてその人にとって適切な対処(業務で言えば適切な獣医療サービス)を提供することを工夫することに限られます。しかしながら他人の人生態度やラケット感情に思いを巡らせることで、その人がペットを飼っている意味や動物病院で働こうと思った動機などを理解できれば、その理解に基づいたより良い対応を提供できるのではないかと考えられます。このように獣医師自身と他者の人生態度やラケット感情に気づくことは、獣医療業務の質を高めることにつながると考えられます。
小動物臨床獣医師は、「自分はOK、他人はOK」の第一の立場の人生態度での業務を行うことを社会的に要請されます。これは、動物病院を利用する飼い主は、ペットや飼い主に最善を尽くそうとする獣医師の人柄を期待するからです(矢野,2014)。獣医師が自身のラケット感情の傾向やそれを有する理由について気づいていれば、診療業務において「自分はOK、他人はOK」の人生態度を目指すことが出来るようになるかもしれません。このように考えると小動物臨床獣医師は、仕事を通じて自身のもつラケット感情や人生態度の傾向を理解し、自身の精神的成長を目指しながら業務に従事することが社会的に要望されているのかもしれません。