エビデンス・べイスド・メディスン(Evidence-baced medicine:EBM;根拠に基づく医療)の重要性の認識は獣医療においても広く知れ渡るようになりました。EBMは、個々の患者をケアするための方針を決定する際に、最新かつ最良のエビデンスを良心的に、明確な理解に基づいて、判断よく用いる医療のことと定義されています(Sackettら,2000)。科学的で説明可能で再現性があって妥当な治療方法によって医療を実践しようとする医療方法論と捉えることができます。

 エビデンスとして用いられる情報は、科学的方法論で明らかにされている、論文や文献などになっている医科学情報です。それと合わせて、科学的に明らかにされていない医科学情報についてエビデンスがない、もしくは、不十分であると評価することまで含みます。過去の膨大な臨床事例や科学的実験を数量的に妥当であり、信頼のおけるデータとして評価したうえで医科学情報はエビデンスとして使用されることが理想的であるとEBMでは考えます。膨大な医科学情報を整理し、目の前の患者の疾患を正確に診断し、適切に治療することに利用されることをEBMでは目指します。そして、EBMは、全ての人間に有用であるように利用されることが求められます。獣医療におけるEBMでは、ペットだけでなく、飼い主に対しても獣医療を有用に用いられることを考えてゆく必要があります。

 獣医療でEBMを利用する意義として、次のことがあげられます。EBMを利用すると、まず、飼い主は現在理解されている様々な治療方法から、科学的に信憑性の高い診断・治療方法を選択することができます。数値的データや予後の状況から、飼い主の希望に合った診断・治療方法を選択することができます。そして、EBMを充実させるために臨床成績を積み上げる努力によって、臨床的に妥当な治療方法を新しく発見することに繋げることができるようになります。治療成績を積み上げることによって、次に同様な疾患のペットを治療する際の診断・治療方法を判断するデータとして利用することができるようになります。このようにEBMは、獣医療においてもペット飼い主だけでなく獣医師にも有用な効果を発揮することが期待できます。

 しかし、獣医療におけるEBMは、いくつかの問題も抱えています。まず、そもそもエビデンスがある獣医療情報が圧倒的に少ないということがあげられます。現在獣医療で扱う疾患の診断・治療の多くに対して、信頼性や妥当性の高い治療方法が確立されているわけではありません。そしてそのエビデンスを生成するための計画的な研究もおこなわれていないと言ってよい状況です。獣医療の臨床研究がエビデンスを作成し情報を充実させることを目的に行われていないため、情報の整理のための回顧的(レトロスペクティブ)研究や製薬会社以外の治験などの客観性のある計画的な前向き(プロスペクティブ)な臨床研究などが圧倒的に少ないことがその原因と考えられます。そのため、人の医療のように信頼性・妥当性の高い獣医科学情報をエビデンスとして簡単に選択することができません。

 また、少なからず存在する信憑性の高い獣医科学情報としてのエビデンスに対して、日本の獣医師は気軽にアクセスしその情報を得ることができません。人間の医療では、エビデンスがデータベース化されているところもあり、信頼性・妥当性が検討された最新のエビデンスをインターネットから容易に得ることができるようになりつつあります。日本の獣医療では、エビデンス生成のための計画的臨床研究が乏しく、エビデンスのデータベース化を行うことは難しいと考えられるため、今後も全ての獣医師のエビデンスの量と質の統一化は難しいものと考えられます。

 診断についてエビデンスを利用するという部分でも獣医療におけるEBMは問題を抱えています。エビデンスはそもそも“正確な診断”やそれに基づいた“効果的な治療”を実現するために利用されます。効果的な治療については、プロスペクティブまたはレトロスペクティブな臨床研究を積み上げれば実現されてくることができるかもしれません。しかし、正確な診断は、臨床研究による獣医科学情報を解釈する治療者が行うため、獣医科学情報以外の治療者の診断的思考方略というプロセスが関与してきます。つまり臨床研究によって導き出された獣医科学情報と治療者の診断的思考方略という2つの要因が結びつかないと正確な診断に到達することができません。このように、正確な診断を実現するにはエビデンスといった獣医科学情報だけでは不十分であるといえます。

 獣医療における診断は、ペットの病気を分類することと同義です。ペットの病気は「普通の特徴に関連して一群の生命ある有機体によって示される異常現象の総和、あるいは生物学的なまたは経済的な損失がみられたか否かという点で、その動物種の平均的な状態とは異なる一連の特徴(Campbellら,1979)」とされ、獣医師は病気になったペットの症状を整理して、適切なカテゴリーに分類すること、すなわち診断することからペットの病気を治療します。そのために、演繹法や帰納法といった仮説-演繹的な推論の思考方法を駆使して、ペットの症状を整理し鑑別診断や仮診断をたて、エビデンスを参照することによって確定診断(病因学的診断)を得るというプロセスをふみます。このような診断に至るプロセスを分析すると、正確な診断は、診断プロセスで使用されたペットの症状(事実)の信憑性と仮説-演繹的な推論で用いられる思考方法にミステイクがないことによって成立していることが分かります。つまり、ペットの症状を見誤ることや推論で用いられる演繹法や帰納法にバイアスやミステイクがあれば、いくらエビデンスを適切に参照しても正確な診断が得られないことがあると言えます。

 もう一つ、エビデンスが過去の事実であるという側面があることは、EBMを利用する際に念頭に置いておく必要があります。仮に正確なエビデンスを得るために、適切に計画されたプロスペクティブおよびレトロスペクティブな臨床研究を積み上げたとしても、その結果導き出されるエビデンスは、確率論をベースに導き出されている事実であり、目の前の患者に適応した場合確実にそのようになるとは言い切れないという限界があります。エビデンスは科学的に導き出されますが、真理や真実というものではなく、確率論的に導き出される事実として利用されなければならないことを治療者である獣医師は意識しておく必要があります。

 このようにEBMは、科学的に検討された医科学情報を良心的に用いるために大変優れた医療方法論であると考えられます。しかしながら、獣医療において信頼性・妥当性の高いエビデンスが量・質とも不十分であり、気軽に利用できない状況にあること、正確な診断を得る際にペットの症状の信憑性や仮説-演繹的な推論方法のミステイクによってエビデンスが適切に利用されないことがあること、エビデンスが確率論に根差した過去のデータであることなどの制限があることを理解してEBMを実施しなければ問題が生じることがあることを意識しておく必要があると考えられます。

 ここからはEBMを交流分析によって考察してみようと思います。

 獣医療EBMの実践は、獣医師の自我状態Aの活性化の極致であるということができると思います。確率論的に妥当である獣医科学情報に基づいて治療を行う努力をするということは、獣医師個人の思考・論理性を含め人類の英知を結集して行われる自我状態Aの活性化であるということができます。ただ、獣医療EBMの問題点を評価すると、EBMにおけるAの活性化は、思考・論理性の活性化だけではなく、人間存在としての「いまここ」の獣医師の視点の活性化についてもクローズアップしなければ、人間やペットの幸福のために適切に利用されないことを提示していると考えられます。「いまここ」では利用できるエビデンスに限界があること、「いまここ」のペットの症状をピックアップしたり、それに基づいて推論し診断する獣医師にミステイクが起こりうること、エビデンス情報がそもそも過去の確率論で「いまここ」にそれを使用するしか方法がないことなど、獣医療EBMを有効に実現するためには「いまここ」の現実把握を獣医師が適切に行う必要があることも提示しています。

 このように考えるとEBMを良心的に使用するということを実現するために、EBMは、本来、正確な医科学情報の利用だけでなく、そこに携わる人の「今ここ」の心理への気付きも扱うことを目的化しているはずと考えられます。「今ここ」の人間心理への気付きは、自我状態Aの活性化の範疇です。このような視点に立てば、我々獣医師はEBMを何の問題を解決するために用いるのかという視点で利用することも考える必要があるのではないかと考えられます。ペットの病気という問題を解決するだけでなく、そのペットを所有する飼い主の気持ちの問題を解決するため、そして大局的に見れば、動物や人間の幸福につなげるためにEBMは、利用される必要があるのではないかと考えられます。

エビデンス・ベイスド・メディスン(EBM)と交流分析