獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
ラポール形成後、獣医師のAからの交流、飼い主のAに向かう交流を意識して行っても、飼い主の自我状態がPやCに固着する傾向がみられることがあります。このような時飼い主は自分自身がもつ人生態度・幼児決断・人生脚本の特徴をあらわしていると考えられます。説明してきたとおり、飼い主がペット飼育をする動機は、飼い主が持つ人生態度・幼児決断・人生脚本の影響を受けている可能性があります。そして、飼い主はペットとの交流の際FCとNP時にCPが活性化し、ACから解放され、Aが抑制されているような自我状態にあると考えられます。加えて、パターナリズムやお任せ診療の影響から、獣医療診療で飼い主のAは抑制されやすい状況にあります。
このような獣医療診療場面の理解から、飼い主が動物病院に「動物を治療してほしい」と望んでいるだけにとどまらず、無意識のうちに「Aが抑制されて冷静でいられない私の不安を何とかしてほしい」と望んでいることが想像されてきます。診察室で感じる私の個人的な感想でも、近年の獣医師は社会的にここを期待されているのではないかと感じます。
獣医療を介してこのような要望に応えてゆくにはどうしたらよいでしょうか。交流分析的に考えると、ペットの治療だけでなく、獣医師が飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本に思いを巡らせ、その人特有のストーリー(物語)がペット飼育に反映していることを交流のなかで理解することが必要になるのではないかと考えられます。この様な飼い主理解に対して獣医師がAを働かせてゆく必要性を感じています。
このことを実現するために獣医師が出来ることの第一歩は、交流から感じ取ることのできる飼い主の印象から、飼い主の有するエゴグラムを査定するということになるでしょう。飼い主の自我状態(CP、NP、A、FC、AC)において、どの自我状態が優勢に働き、どの自我状態が過剰であり、どの自我状態が低下しているのかを獣医師が理解することは、飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本を類推する上での鍵となります。
批判的、威圧的、操作的、権威的な言動が多く自分の価値を押し付けてくる飼い主は、CP優位でしょう。また、責任をとれない、物事を決められないような価値づけを苦手とする人はCPが不足していると考えられます。やさしさ、養育的、過保護、お節介な言動が多くペットを甘やかしすぎる飼い主はNP優位でしょう。また、冷淡、相手に関心がないような思いやりが弱い飼い主はNPが不足していると考えられます。CP・NPなどのP優位な飼い主は、その人の養育者の価値観や行動規範をそのまま受け入れて身につけていると考えられます。また、支配、操作、過保護、身びいきなど、自分・他人・状況に対するディスカウントを含むPの言動は、not OKの人生態度に関係している可能性があります。「他人はnot OK」の人生態度を持つP優位の飼い主は、頑固で自分の意見を曲げにくいために獣医師とのトラブルを起こしやすい傾向があると考えられます。よってP優位の飼い主に対して、獣医師はAまたはCからの相補交流を多用することでラポールを維持しやすいと考えられます。
論理・合理的、自身を顧みる、客観的な言動が多く融通が利きにくい飼い主はA優位な人でしょう。また、情報にうとく、計画性がない、考えることが苦手な飼い主はAが不足していると考えられます。A優位な飼い主は、獣医師の発言を客観的に評価して、妥当性のある事象に対しては理解を示し、納得できないことには理性的な反論を行うと考えられます。また、not OKの人生態度からの発言をすることもありますが、獣医師が自分も他人もOKの立場から説明すれば飼い主の理解を得られることも多いと考えられます。よってA優位の飼い主に対して、獣医師はAからの相補的交流でラポールを維持しやすいと考えられます。
自由、衝動的、わがまま、感情的、自己本位的な言動が多くわがままな人はFC優位な飼い主でしょう。また、萎縮して、気が弱い印象の飼い主はFCが不足していると考えられます。適応的、依存・従属的、閉鎖的、消極的でときに反動的に怒りの言動をあらわし、自分を抑え込んでいるような飼い主はAC優位でしょう。また、頑固で人の意見は聞かないような他の人に合わせるのが苦手な飼い主はACが不足していると考えられます。FC・ACなどのC優位な飼い主は、その人が子どもの時に見せていた態度を診療室に持ち込んできます。FC優位な飼い主のネガティブな面として獣医師の指導に一切の注意を払わないような感情的で子供っぽい行動パターンがあるでしょう。AC優位な飼い主は、反対に獣医師のいうことはよく聞くかもしれませんが、自分はnot OKの人生態度を持っていると、くよくよしていろいろな決断ができない、また、他人はnot OKの人生態度を持っていれば、反動から親に対して反抗するように獣医師をこけおろすように攻撃してくることもあるでしょう。また、ACやPで自身のFCを抑え込んでいる飼い主は、自分の本来の感情を表に出すことが苦手なために心的エネルギーの発散ができず、抑うつ状態が持続しやすくペットロスに陥りやすいことが考えられます。このようなC優位な飼い主に対して、獣医師はAまたはPからの相補交流を多用することによりラポールを維持しやすいと考えられます。CP優位とAC不足、あるいはAC優位とCP不足の自我状態には類似性があり、前者は頑固で自己本位的、後者は依存的で他者本位的なところがあります。
獣医師と飼い主のAの活性化の実際②
〜飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本に思いを巡らせ、その人特有のストーリー(物語)がペット飼育に反映していることを査定する。
ここまで、飼い主の行動や言動からエゴグラムを類推することについて考えてきました。つぎに、エゴグラムから飼い主の人生態度を類推する方法について考えてみましょう。飼い主のエゴグラムの理解から、飼い主の人生態度に思いを巡らすこともできます。NP優位で他のエゴグラムも全般的に高めの飼い主は「私はOK。あなたもOK。」の人生態度を持っており、治療に協力的なはずです。ACやNPが優位でFCやCPとAが低めの飼い主は「私はOKでない。あなたはOK。」の人生態度を持っており、治療に対して受け身であり依存的でしょう。FCやCPが優位でACやNPとAが低めの飼い主は「私はOK。あなたはOKでない。」の人生態度を持っており、治療に懐疑的であり排他的で非協力的でしょう。ACが優位でCPが高めでNPやFCとAが低い飼い主は「私はOKでない。あなたもOKでない。」の人生態度をもっていて、治療に絶望や混乱を抱いて治療継続が難しい場合もあるでしょう。
飼い主の自我状態の汚染や除外を査定することによって飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本を理解することに繋げることもできます。活性化されている自我状態の機能に、その人の養育者の影響と思われる偏った信条のような偏見が認められるときや、現実的な検討能力に問題があり妄想的な表現が認められるときには、自我状態の汚染が生じていることが査定されます。また自我状態の1つもしくは2つを締め出しているような表現をする場合は自我状態の除外が生じている可能性があります。ディスカウントがある汚染や除外は歪んだ人生態度・幼児決断・人生脚本の形成に関係していることが考えられます。自我状態の汚染や除外を有する飼い主との交流では獣医師が交流に違和を感じながらも、獣医師が第一の立場からディスカウントのない対話を行うことで、その人に援助的なかかわりを持つことができると考えられます。
ラポールが形成されたと思った後の飼い主との交流において、飼い主は自身の人生態度・幼児決断・人生脚本の影響を受けて時に獣医師に向けて不自然な交差交流や裏面交流を行ってしまうことがあります。このとき、獣医師はその交流に何とも言えない違和を感じることがあります。この違和は、自分(獣医師)と相手(相手)のエゴグラムや人生態度・幼児決断・人生脚本の違いに気づくポイントの一つとなってきます。診察室での飼い主との交流の中で獣医師は自分の中に「あれ?」といった違和感や時に不快、怒り、恐怖を感じます。この「あれ?」という感じをキーポイントに獣医師自身や飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本をひも解いてゆくことができます。この感じは、飼い主の自我状態の特徴と獣医師の自我状態の特徴の差異によって生じてきます。Aが働いている交流では、相手のことを考えて言葉を選び、主に相補交流を行うので、相手に「あれ?」という感じを生じさせないように気を付けて会話をします。このため、交流者お互いのAが充分に働いている相補交流の中ではこの「あれ?」という感じは生じにくいと考えられます。しかし、飼い主のAが抑制されやすい診察室では、この「あれ?」という感じが際立って感じられるようになることがあります。診察室の中では、Aが弱まって無意識のうちに人生態度・幼児決断・人生脚本の影響が表れ、相手にこの感じを強く感じさせてしまうのです。この時、「あれ?」と感じさせた人の人生態度・幼児決断・人生脚本の特徴も際立っていますが、感じた方の人生態度・幼児決断・人生脚本の影響も働いています。つまり、この「あれ?」と感じた瞬間は、飼い主の人生態度・幼児決断・人生脚本を理解するポイントでもあり、Aによって「獣医師の顔」を作って業務にあたる獣医師自身がもつ人生態度・幼児決断・人生脚本を理解するポイントでもあるということになります。このような理解で「あれ?」と診察室で感じるとき、飼い主と獣医師の人生態度・幼児決断・人生脚本への理解と気付きは深まると思います。
飼い主の言動の印象から飼い主のエゴグラムを類推する。飼い主のエゴグラムの傾向は、飼い主の人生態度、幼児決断、人生脚本を反映している。獣医師が飼い主のもつ人生態度、幼児決断、人生脚本に思いを巡らせ、その人特有のストーリー(物語)がペット飼育に反映していることを理解することが、無意識のうちに「Aが抑制されて冷静でいられない私の不安を何とかしてほしい」と望む飼い主のニーズに応える第一歩となる。
飼い主の言動の傾向から類推されるエゴグラム
エゴグラムと人生態度の関連
飼い主との交流で「あれ?」っと感じるとき
~獣医師と飼い主のエゴグラム、人生態度、幼児決断、人生脚本の差異を感じる瞬間
★獣医師の「あれ!?」は、獣医師と飼い主の自我状態の差異によって生じる。
★獣医師はAから治療を説明しているが飼い主はCによって感情的に反応している。
★診察室で飼い主のAは弱まり、無意識のうちにペットが関係する人生態度・幼児決断・人生脚本の影響が露呈するためである。
★Aによって「獣医師としての顔」を作って業務にあたる獣医師がもつ人生態度・幼児決断・人生脚本も影響し、獣医師は「あれ!?」と強く感じてしまう。
★診察室で感じる「あれ!?」は、飼い主と獣医師の人生態度・幼児決断・人生脚本への気付きを深めるポイントとなる。
飼い主の幼児決断は、獣医診療の中で露呈してくることがあります。そして飼い主の幼児決断の露呈が獣医師に違和を生じさせることがあります。幼児決断やそれに基づく人生態度は、その人が子供のころ生き残るためにやむを得ず採用した苦痛に満ちた選択であることについて前述しました。つまり、幼児決断に基づく言動を飼い主にとってやむを得ず診察室で行ってしまっているのです。このことについて獣医師が理解していれば、たとえ飼い主との交流で不快や嫌悪を抱いたとしても、獣医師は飼い主に対して「自分もあなたもOK」の態度を示すことができると思います。そして突っ込んだ理解をすれば、飼い主が幼児決断に伴う言動を行っている瞬間は、飼い主が自身のもつ幼児決断に気づくチャンスでもあります。獣医師が飼い主の幼児決断に基づく言動に適切に対処できれば、飼い主自身が自分の歪んだ幼児決断に「許し」与える手助けをできるかもしれません。このためには飼い主は受容され、「自分もあなたもOK」と承認され、全ての自我状態を自由に表出できる環境を提供される必要があります。今後、獣医師や動物病院は、このような飼い主の歪んだ幼児決断に飼い主自身が許しを与えられる環境を提供することが望まれてくるかもしれません。このことは、獣医師が、ペットを治療することを超えたサービスを飼い主に提供することができうるということを意味していると考えられます。
飼い主の自我状態や人生態度・幼児決断・人生脚本を査定する際に、飼い主とペットとの心理的距離(共生関係)も利用できます。これは、生活の中でその人がどのくらいペットに心理的に依存しているかという指標でもあります。ペットとの関係での飼い主のAの働き具合を見ることが出来るともいえるでしょう。ペットを可愛がっているけれども、犬は犬、猫は猫として飼育し、ペットの擬人化があったとしても自分の生活がそのペットに支配されていないで感情的になりすぎず自律性がある程度保たれている飼い主は、Aが充分に働いていると考えられます。(たぶんこの人はペットを愛しています。)これとは逆に飼い主とペットの距離感が近すぎその心理的距離が分離されておらず共生関係が認められるような場合、擬人化が過ぎるような場合、ペット依存が強い場合には、この飼い主はAを働かせることがほとんどできていません。このため、飼い主の自我状態における否定的な特徴が表出しています。つまり支配的、過保護、依存的、わがままといった性質が顕在してくると考えられます。
本項では、獣医師のAを働かせて飼い主と獣医師の人生態度・幼児決断・人生脚本の査定をすることについて整理してきました。本項で記したように、飼い主がどの自我状態が優位になっているのかを行動(言葉、表情、声色、姿勢、ペットとの関係)から査定し飼い主のエゴグラムをある程度想像することが出来ます。エゴグラムによって飼い主にとって優位な自我状態、機能不全の自我状態、過剰に働く自我状態を査定できれば、その人の優位な人生態度が査定でき、幼児決断や人生脚本の傾向をつかむことが出来ると考えられます。自我状態の汚染や除外、ペットとの心理的距離(共生関係)からも人生態度・幼児決断・人生脚本の傾向を査定することができるかもしれません。飼い主のエゴグラムから垣間見ることができる人生態度・幼児決断・人生脚本の傾向がまさにその人が有するストーリー(物語)の一部分です。飼い主が持つ特有のストーリー(物語)に登場しているペットとの関係性を理解し、獣医療に組み込むことで、飼主一人一人のニーズに合った獣医療サービスを提供できることに繋げられるかもしれません。