獣医療をひも解く心理学 〜Psychology for Veterinary care〜
さて、ペットの与えてくれるこのような至上のストロークは、我々人にとって有益でしょうか。交流分析の観点でよく考えてみると、ペットが与えてくれるストロークにメリットとデメリットがあると考えることができます。このことについて、ここで平成17年に東京都福祉保健局健康安全室環境衛生課が製作した「犬を飼うってステキです‐か?」という冊子を例に挙げ、考えてみましょう。
交流分析から考えるペット飼育のメリットとデメリット
この冊子は、“責任を持って犬を飼育しましょう”ということを啓蒙するものですが、この中に「動物の赤ちゃんはみんなひとの心をやさしくさせる魔法の力をもっている」ことが書かれており、派手なお姉さんも不良のお兄さんも無口で厳格なお父さんも見た目の怖いおじさんも、動物の赤ちゃんを見た途端、赤ちゃん言葉で子供のような笑顔で動物に接してしまうイラストが描かれています。この「魔法の力」が人にペット飼育をすることを決定させることになりますが、実際はペットを計画的に継続して飼えるか考えて飼わないことによって不幸な動物が増えてしまうということが描かれています。この「魔法」にかかってしまった人が、どのような自我状態が優位になっているか検証しながら考えてゆきます。
動物の赤ちゃんの「魔法」にかかった人は、「かわいい」「よちよち」といった感情的であたかも子供にかえったのような表現や母性的で養育的ともいえる抱擁行動をとっていることからNPやFCが優位になったエゴグラムを有していると考えられます。また、現実の嫌なことを忘れて、穏やかな気持ちになっていると想像されるため、ACが抑制的になっていると考えられます。このことによってペットは大きな癒しを飼い主に与えてくれます。これは、ペット飼育が人に与えてくれる大きなメリットだと考えられます。
動物の赤ちゃんの「魔法」にかかってしまった人のエゴグラム
動物の赤ちゃんが持つ魔法の力
〜東京都福祉保健局健康安全室環境衛生課作成「犬を飼うってステキですーか?」より抜粋
交流分析的に考えられるペット飼育のメリットとデメリット
しかしこの「魔法」によって現実を冷静に評価できない状態にあり、自我状態Aの働きが極端に弱くなっていることも想像できます。Aの自我状態の機能が働き始めると、「今の生活状況で本当に飼えるのだろうか?」と現実的に考え、適切に飼育できる環境を整えたり、動物飼育を思いとどまったりすることになります。つまり、Aが機能し始めると「魔法」から覚めてペット飼育に対して現実的な対処をとることになるでしょう(この冊子で言う「お母さん」の対応です)。ですが、日常生活でもAが抑制されがちな人の場合、「魔法」にかかったまま、衝動的・非計画的にペット飼育を始めてしまい、場合によっては飼育を継続出来なくなることもあるのではないかと考えられます。つまりペットの「魔法」は、人のAを抑制してしまい、衝動的にペットを飼育させ、ペットの不幸をまねく結果を引き起こすことがあり得ると考えられます。
ペットの「魔法」によってNPやFCが優位になることが想像されるため、飼い主は思いやりや優しさを有する側面やのびのびとした感性が発揮され、生活が豊かになるメリットを享受することができます。反面、自我状態Aが抑制されることでPやCの自我状態のもつ否定的な面・欠点が現れやすくなり、生活や対人関係で支障をきたすこともあると考えられます。このことが一つ目に考えられるペット飼育のメリット・デメリットです。
次にラケット感情の面からペット飼育のメリット・デメリットについて考えてみます。Aが抑制された対人交流は、心理ゲームやラケット行動に繋がってゆくことがあります。その交流の中で人はラケット感情を経験します。ラケット感情は慣れ親しんだ大変不快な感情で、本来は味わいたくない感情です。しかし、ラケット感情の不快な思いを味わいたくないからといって、人は他の人との関係を断絶することはできません。なぜなら、人との関係を断絶すれば、ストロークを得ることが出来なくなるからです。そこで、人はラケット感情を感じやすい人間関係においても不快なラケット感情を感じないような工夫の行動をとります。即ち、Aを働かせて心理ゲームの仕掛人から少し距離をとったり、健全な交流を目指して作戦をたてたり、他の人との関係でバランスをとったり、趣味に没頭し距離をおいたりと、ラケット感情を解消するために心理ゲーム以外で時間を構造化しようと頭を働かせて工夫します。つまり、人とのかかわりの中では、不快なラケット感情を解消するために、仮にAが抑制されてしまう人でもAを働かせて生きてゆく必要に迫られます。このように考えると、ラケット感情は悪いことばかりでなく、人にとってAを育ませて精神的に変化し成長してゆくきっかけになりうると考えられます。
このラケット感情はペットとの関係でどのように扱われるのでしょうか。実はペットとの関係によって人はこの不快なラケット感情を簡単に回避することが出来てしまうのではないかと考えられます。ペットは、どのような時も人に対して至上の無条件ストロークを与えてくれるからです。もし心理ゲームの仕掛人のようなラケット行動をとりやすい人が、ペットに対して裏面交流に本質がある相補交流をしたとしても、ペットは裏のない愛着の情(ディスカウントのない相補交流)で飼い主に応えてくれるでしょう。仮に、虐待したり、いじめたりしても、ペットはディスカウントのないストロークを飼い主に対して与え続けてくれるでしょう。言葉を変えれば、人はAを用いて我が身を振り返らず行動しても、ペットとの関係において人は不快なラケット感情を味合わないということになります。
ペットが人の社会的交流を活性化するという報告(Gunter,1999)もありますが、飼い主によってはペット飼育によって他人との交流の必要性が薄れてゆくこともあります。近年ペットを飼育する高齢者が他人との関係を避けたり、飼い主自身の病気の治療のため入院を拒んだりするようなケースが認められています(NHK,2014)。この原因を交流分析的に評価すれば、ペットが毎日シャワーのように至上のストロークを飼い主に提供してくれるから、他人からのストロークを必要としなくなるためと考えられます。わざわざラケット感情を感じながら試行錯誤して人と関係してストロークを得るよりも、ペットから至上のストロークを得ていた方が簡単で心地よいからです。つまり、このようなペットの性質は、飼い主が他人と関係をとることを避ける傾向を助長することがあると考えられます。
このようにペットとの交流で飼い主は、Aを働かせなくても不快なラケット感情を簡単に回避することができ、それが人との交流を避ける原因になることがあると考えられます。裏を返せば、ペットとの関係は心地よすぎて人にラケット感情を抱かせないため、面倒な対人関係を回避してしまい、人がAを用いて“自分を客観的に洞察し変化する”ことを促す動機を奪ってしまうことがあると言えます。つまりペットとの濃密な関係は、人のAを育む機会を奪い、人が精神的に変化し成長する機会を奪う可能性があると考えられます。このことが、二つ目に考えられるペット飼育のメリット・デメリットです。
ペットとの関係によって、人がFCやNPを育む効果はあると考えられます。そして、AやACをフルに働かせて日常生活で襲いくる荒波を何とかしのいで生きている現代人には、Aを用いなくても無条件な肯定的ストロークを与えてくれるペットとの関係は大きな癒しになることは想像に難くありません。しかし、交流分析的に評価すると、ペット飼育にはデメリットもあるのです。このことを認知しながら人はペットを飼育する必要があると考えられます。心地よすぎるペットとの関係だけに固執することは、人のAが抑制されすぎ、その関係は人が精神的に変化し成長する機会を奪う可能性があることを人は自覚しておく必要があると考えられます。
交流分析的に考えられる、このようなペット飼育のメリット、デメリットを知ったうえでペットを飼う時初めて、人にとって本当の意味で「犬を飼うってステキです」と言えるようになるのではないかと思います。