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獣医療で生じる心理ゲーム

 獣医師と飼い主、獣医師とスタッフ間でも心理ゲームはしばしば生じます。親密な関係でない獣医師と飼い主の間でどうして心理ゲームがおこなわれるのか、これには次のような理由があります。一般に治療者(獣医師)‐被治療者(飼い主)の関係は対等ではなく、どうしても獣医師=強者、飼い主=弱者の関係になってしまいます(後述)。飼い主は依存的になり、決断や思考を獣医師任せにしがちになります。このため親密度が低いと思われる関係でも、被治療者である飼い主はAを抑圧してしまいやすく、獣医師や動物病院スタッフと心理ゲームが生じやすい関係が作られやすいのです。このことに加えて、治療者である獣医師は「ペットや飼い主を助けてあげたい、助けなければならない」と考えるため、ゲームに乗る人が持つ弱み(飼い主がゲームを仕掛けてきてもそれを無視することができず乗ってしまう傾向)を治療構造の中で負わされてしまいがちなのです。このような獣医師‐飼い主の治療の関係性によって、診察室では心理ゲームを生みやすい土壌があります。

心理ゲーム「はい、でも」の例を示しながら、獣医療でよくおこなわれる心理ゲームについて説明します。

 

仕掛人(飼い主)「今日は皮膚がかゆくて見せに来ました。」

乗る人(獣医師)「はい分かりました。まず原因を特定するため、皮膚掻把検査をしますね。」

仕掛人(飼い主)「はい、でも皮膚を引っかかれるのは痛がりませんか?」

乗る人(獣医師)「しかし、皮膚掻把検査で寄生虫などの可能性を除外しないとうまく治療できないかもしれません」

仕掛人(飼い主)「はい、でも検査した後、痛がらないのか心配です。」

乗る人(獣医師)「そうですか。ところで、皮膚の病変部位からアレルギー体質の関連が疑われますが、いまどういったものを食べていますか?」

仕掛人(飼い主)「人のご飯をちょこちょこ与えています。」

乗る人(獣医師)「アレルギーが疑われる場合食餌の適正化が必要なので、病院で指示するドックフードに切り替えることになると思います。」

仕掛人(飼い主)「はい、でもいままでドッグフードとかは食べたことがないので食べないと思います。」

乗る人(獣医師)「ただ、今までの食生活を続けては、皮膚のトラブルが続いてしまうと思います。」

仕掛人(飼い主)「はい、でもドックフードはおいしくなさそうだし、食べさせるのがかわいそうですよね。」

乗る人(獣医師)「・・・・・。じゅあ、治療できませんね。」

仕掛人(飼い主)「先生、治せないんですか?何とかしてほしいんですけど」

 

 飼い主は、動物病院に治療にやってきていますが、獣医師の提案することに「はい、でも・・」といってかたくなに拒否します。この心理ゲームは「はい、でも(Why don’t you – yes but)」と呼ばれています。仕掛人であるこの飼い主は、自分でも意識していない「かまってほしいが、私は変えられないよ」という隠された意図を持っています。そして乗る人である獣医師は「治療者だから何とか助けなければならない」という弱みを持っているため、仕掛人の仕掛けに乗らざるを得ない状況になります。最初、仕掛人が「はい、でも・・」と言いながらも仕掛人と乗る人は見かけ上A⇄Aの相補交流を行っています。しかし、仕掛人のCから「かまってほしいが、私は変えられないよ」という、乗る人のPに向かう裏面交流を発しています。獣医師のPはその裏面交流に対して「治療者だから何とか助けますよ」という仕掛人のCに対して裏面交流で反応しています。この時仕掛人である飼い主は犠牲者、乗る人である獣医師は救援者の役割を負わされています。「はい、でも」の交流が続き、水掛け論になってしまい、獣医師が当惑し「・・・・・。じゅあ、治療できませんね。」となった時、乗る人である獣医師の自我状態が急変し、攻撃的なCPからもしくは消極的になったACからの表現が仕掛人のCやPに向かって行われます。この転換期を迎えると仕掛人との交流が表面上、交差交流になり、円滑な交流が失われます。また役割の変換も生じます。仕掛人(飼い主)は犠牲者から迫害者、乗る人(獣医師)は救援者から犠牲者へと役割が変わります。そして乗る人は「助けてあげられなかった」という自責感や「屁理屈こねて・・」という仕掛人への怒りや失望感といったラケット感情を抱きます。仕掛人は「私は変えられないのだよ」という優越感とそれに伴った「自分はOK、他人は not OK」という人生態度を強化し確認することができます。このように獣医療において行われる心理ゲームにおいても、不毛で非生産的で繰り返し行われる交流が生じ、最後にラケット感情を味わい、仕掛人の人生態度を強化する結末を迎えます。

心理ゲーム はいでも

 ここで、いくつか獣医療で行われることがある心理ゲームについて紹介します。

①さあ、とっちめてやるぞ、この野郎(Now I’ve Got You, You Son of a Bitch)

 この心理ゲームは、仕掛人が乗る人の小さなミスや失言を捕まえて、怒りをあらわにして乗る人を糾弾し、仕掛人のストレスを発散しようとするゲームです。たとえば、注射や投薬などによる小さな身体的変化をたてにとり、獣医師のミスをとことんまで追求し謝罪を迫るような飼い主などがその例です。仕掛人は、「(親から受けた)不当な扱いを発散してやる」「相手の落ち度を見つけて嬉しい」などの本人も意識しない隠された意図を持ち、乗る人は「私のミスがあった」という弱みを持つため、心理ゲームが進行してゆきます。最終的に乗る人が糾弾され、仕掛人は「自分はOK、他人はnot OK」の人生態度を確認します。重大な医療ミスや不十分なインフォームドコンセントによる“正当な”クレームと異なる部分は、客観的に見て明らかにミスがクレームにおける要求に相応しくない(たとえば爪切りの出血における烈火のような糾弾など)ところや、仕掛人が“嬉々として”乗る人を糾弾する様子などが観察されることです。E・バーンによると、このゲームは幼少期の長期にわたる親からの不当な扱いによって鬱積した怒りを仕掛人が発散するために行っているため、仕掛人の目的は「自分はOK、他人はnot OK」の人生態度を確認することと説明されています。このゲームを行わないようにする対応方法として、乗る人はミスへの謝罪は行っても謝罪以上のラケット感情(たとえば、後悔の念や仕掛人への怒り)を持たないようにし、Aの自我状態から粛々と対応することが望まれます。このゲームを行ってしまう人は、他の人にも同じような行動をとるため、疎んじられており、ストローク飢餓に陥っています。そのことを念頭に置いて、「大事に思っているペットがこのようなことを被ってお怒りになる気持ちはよくわかりますよ」などの肯定的ストロークを投げかけることでゲームの回避を期待することができます。

②仲間割れ(Let’s You and Him Fight)

 このゲームは、自分以外の2人以上の人を巧みに操って仲違いをさせる心理ゲームです。“ドクターショッピング”を行う患者が仕掛ける心理ゲームです。この心理ゲームの仕掛人は、最初、獣医師の言うなりに治療を行う、一見素直で依存的な飼い主にみえます。この飼い主に対して獣医師は釣り込まれるように治療に一生懸命になります。しかし、仕掛人である飼い主は、治療経過が少し思わしくないと他の獣医師への診察を依頼し、そこでは最初の獣医師に与えた情報と違うことを言います。つまり仕掛人はそうとは意識せずに、双方の獣医師が険悪になり仲違えするように仕向けていきます。そして、獣医師同士の混乱を生むような結果を導きます。この心理ゲームの仕掛人である飼い主は、“誰かの虜”になることを避けるように、一人の獣医師の虜になりそうになると、それを避けるため他の獣医師を巻き込んで獣医師同士を張り合わせたり逃げ出したりします。この仕掛人は「私は他人に操られない。他人を操って、他人がバカであることを証明しよう」という隠れた意図を持っているのです。そして乗る人である獣医師は「何とか助けてあげたい」という弱みを持っているため、心理ゲームに乗ってしまいます。常識的なセカンドオピニオンを望む飼い主は、それぞれの獣医師に矛盾するような情報を与えず、獣医師同士の混乱を起こすような言動を行わない点でこのゲームを行う飼い主とは異なります。この心理ゲームに乗らないためには、獣医師がAを働かせ心理ゲームに気づくことと、獣医師に想起してくるラケット感情(他獣医への怒りや敗北感、自責)に必要以上に浸らないことが一つの方法です。このような仕掛人は幼い時から同様な方法で人を振り回し、ストローク飢餓を解消していることが多いと考えられます。

③あなたのせいでこうなった(See What You Made Me Do)

 他罰主義的で責任回避をするために行われる心理ゲームです。たとえば、動物病院の院長とスタッフの間で行われます。院長は、何かのミスや不利益をスタッフのせいにして腹を立て「君のせいでこうなった」「ほかのスタッフもちゃんと管理していないからだ」と叱りつけます。この種の出来事が繰り返され、院長は敬遠され一人になることが多くなり、院長は、誰からも邪魔されない立場を確立することになります。仕掛人である院長は「私はOK、他人はnot OK」という人生態度を強化するために、「私以外の人に責任をなすりつけよう」という隠れた意図を持っています。そして乗る人であるスタッフは「この人のもとで働かなければならない」という弱みを持っています。スタッフは後悔や自責感というラケット感情を持ち、院長は優越感に浸ります。ゲームを回避する方法として、スタッフも院長もAを働かせ心理ゲームに気が付くこと、その人との関係において適度な距離をとるなど様々な方法が考えられます。臨床の場面では症状の変化をすべて治療者側のせいにしようとする患者とこの心理ゲームが行われる場合もあります。

④診断主義者・温室(Green-house)

 この心理ゲームは正確な診断に固執する獣医師によって引き起こされる心理ゲームです。仕掛人である獣医師は、診断の論理性や真新しい技術などに多大な関心を示し、重箱の隅をつつくような的外れな議論を繰り広げることを好みます。そしてその診断的方法のために、飼い主やペットに多大な負担と苦痛が課せられても大して気に留めません。このゲームの仕掛人である治療者は「ペットは診断の対象として存在する。飼い主やペットはnot OKである。」という隠れた意図を確認するために治療行為を行っています。飼い主は「治療してほしい」という弱みがあるために心理ゲームに乗らざるを得ません。このような獣医師は、検査で診断の結果が出るや否や患者からの興味を急速に失ってしまう、治療が効果を上げると患者から興味を失うという特徴を持ちます。治療者の獣医師は、この心理ゲームの仕掛人にならないようにするためにはAを働かせ心理ゲームに気づき、自分のストローク飢餓を満たすために診療を行っていないか考えてみることが有効です。

⑤シュレミール(Schlemiel)

 シュレミールとは“ずるがしこい人”の意味があります。この心理ゲームの仕掛人は、次々に失敗を重ねて相手を苛立たせます。そしてその都度謝罪して否応なしに相手の許しを得るような行動をします。獣医療域では、獣医師のいうことを実行できるのに守らず何度も病気にして動物病院にペットを連れてくる飼い主等の例があてはまります。治療の指示を守らないので何度もペットを病気にして動物病院で診察を受けますが、丁寧に詫びるので治療者のほうもついつい「いいですよ」と許さざるを得なくなります。仕掛人の飼い主は、無意識的に意地悪くミスを繰り返しながら相手の忍耐力を試し、その過程をひそかに楽しんでいます。そしてこの心理ゲームによって「他人はnot OK」という人生態度を強化していきます。獣医師は、「助けてあげたい」という弱みを持っているため、心理ゲームに乗らざるを得ないのです。このゲームは仕掛人が獣医師で、乗る人が飼い主でも起こることがあります。どちらにしろAで「他人を操る快感」がこの心理ゲームで働いていることに気づき、対処することで心理ゲームを終わらせることが出来るでしょう。

⑥苦労性(Harried)

 このゲームはいわゆるワークライフバランスを崩して体を壊してしまう獣医師が演じるゲームです。子どものころに飼っていたペットによって寂しさを感じなくて済んだこと、自分のピンチを救ってもらった経験がある人が獣医師になった場合、その動機付けから自分の体や健康を顧みず、仕事にのめり込むように熱中するような人がいます。幼児決断が関連した動機づけに駆り立てられるように仕事をするあまり、いよいよ疲労困憊し体を壊して、結局ペットを助けられないようになってしまう転換と結末を迎えます。そして「自分はnot OK」の人生態度を確認することになります。

 ほかにも心理ゲームはありますが、本書ではその心理ゲームの名前を紹介するにとどめ、詳細は交流分析の文献に譲ることとします。

 治療の中で行われるゲーム(20種類)

:はい、でも(Why Don’t You – Yes But)

:義足(Wooden Leg)

:キック・ミー(Kick Me)

:ひどいもんだ(Ain’t It Awful)

:大騒ぎ(Uproar)

:あなたを何とかしてあげたいと思っているだけなんだ(I’m Only Trying to Help You)

:ラポ(Rapo)

:精神医学(Psychiatry)

:暗黙の了解(Indigence)

:こんなに私が無理しているのに(Look How Hard I’ve Tried)

:おろかもの(Stupid)

:法廷(Court Room)

:警察と泥棒(Cops and Robbers)

:詮索好き・欠点(Blemish)

獣医療でよく生じる心理ゲームの例

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