人生脚本を書き換える

 ここまで説明してきたとおり、人生脚本は幼少期に親の影響や兄弟との関係性の中で身に着けた幼児決断や、その内容である拮抗禁止令・プログラム・禁止令許可の影響を受けて形成されます。このように形成された人生脚本は、無自覚に無意識の中で自身の人生の決断を決定する物差しや動機づけになっています。そこでE・バーンは次のように述べています。

「したがって、自律性という感覚は、ほとんど錯覚であることが多い。そして、その錯覚は、人類の最大の苦悩を意味するものである。なぜなら、ごく少数の人たちだけが、その発育の過程で真の自己認識、誠実、創造性、他人との親密性などを身につけることができるからである。残りの人たちにとって、他人は単に自分が操作すべき対象とみなされることになる。他人は、ドラマの主人公の役割を強化し、そのために必要な、それぞれの役割を演ずるように要望され、説得され、そそのかされ、買収され、強制され、そのようにしてその脚本はつつがなく運ぶのである。しかし、自分の役割を演じることに没頭している間に、現実の世界から遊離し、その中における自分の本来の可能性を発揮できなくなるのである。」

 自分にとって有害な人生脚本を書き換え、人生脚本から自由になることこそ交流分析のゴールです。では、どうやって人生脚本を書き換えればよいのでしょうか。まず自分の有する人生脚本に気づくことが必要になります。その方法としてT・ケーラーとH・ケーパーズ(1974)の「ミニスクリプト(ミニ脚本)」という考え方があります。

 ミニスクリプトとは、人が日常の生活の場で、数分間あるいは数秒間のような短い時間における一連の行動の中で、それが結果として、その人の人生の生き方を補強するパターンになっているものを指します。数秒間、数分間という短い間の日常の行動についてのミニスクリプトですが、実はその中にその人を支配している人生脚本のテーマ(幼児決断・拮抗禁止令【ドライバー】・禁止令・許可【禁止令の12のリスト、ストッパー】)が影響しており、表情やジェスチャー、声の調子などに人生脚本の一部分が現れてくると考えられています。そこでミニスクリプトを分析してみることで、自分を支配している人生脚本に気が付くことができるとしています。

 ミニスクリプトは「OKでないミニスクリプト(好ましくないミニ脚本)」「OKミニスクリプト」の2つが仮定されます。「OKでないミニスクリプト」は、拮抗禁止令の中の親からの否定的なメッセージである「ドライバー」と感情や思考や行動を束縛する禁止令である「ストッパー」を中心に説明される概念です。「OKでないミニスクリプト」は、有害で歪んだ人生脚本に関係して、人が自律的に生きることを妨げます。そこで、ドライバーとストッパーに支配されている有害で歪んだ人生脚本を捨て、自分自身で書き換えることができれば、自律性にとんだ人生脚本を獲得できるとT・ケーラーとH・ケーパーズは考えました。その方法として、拮抗禁止令(ドライバー)や禁止令(ストッパー)に気づき、自身のAから許し(これをアロワー(allower)といいます)を与えることでで「OKミニスクリプト」を構築し、自分の敗者の人生脚本から脱却する方法が考案されました。自身のドライバーとストッパーの関係に気づき、それに許しを与えることで歪んだ人生脚本から自由になる一つの方法です。アロワーはドライバーに対比してそれぞれ存在します。「完全であれ」のドライバーに対して「ありのままでいいのだ」というアロワーがあります。「他人を喜ばせろ」に対して「自分を大切にしていいのだ」、「一生懸命やれ」に対して「それさえすれば楽しんでいいのだ」、「強くあれ」に対して「自由に感情を出していいのだ」、「急げ」に対して「じっくりやっていいのだ」というアロワーがあります。

 OKでないミニスクリプトの書き換えの実際について説明しましょう(OKでないミニスクリプトにおけるドライバーとストッパーの対比表とドライバーとアロワーの対比表)。たとえば、せっかちな人は「急げ」というドライバーに駆り立てられて生活しています。「もし急いでいればOK」と駆り立てられ生活していますが、ずっとそれを続けることは難しいことです。この人は「気ままで自由であるな」というストッパーを身につけ、ドライバーが駆り立てる「急げ」を実現できなかった自分を抑圧します(第二の立場)。この抑圧が強くなれば、「急いでいるじゃないか」というVCという反抗心が出現します(第三の立場)。ストッパーとVCの葛藤で最終的に「どうにでもなれ」というFMPを抱きます(第四の立場)。時間がたつとまた「急げ」というドライバーに駆り立てられ、同じOKでないミニスクリプトを生き続けてしまいます。ここで、「急げ」というドライバーに自分に「じっくりやるのもいいことだ」という許しを与えることができるとミニスクリプトの変化が起こります(アロワー)。アロワーの効果で「気ままであるな」というストッパーが「じっくりやって気ままであることは気持ちも楽だし楽しい」というゴーアーに変化し、AFCやワウワーといった喜びの感情を体験することになります。ワウワーが新たなアロワーを呼び起こし「急げ」というドライバーから脱することができます。

 現実には様々なな心理的抵抗が働き、OKでないミニスクリプトの書き換えをスムーズに行うことは難しいことです。しかし自分が意識して、何度も何度も試行錯誤しながら日常生活の場面でドライバーをアロワーに変更してゆく努力を行うことでOKミニスクリプトは汎化されてゆくと考えられます。このように自分のドライバーに気づき、日常生活でドライバーをアロワー変革できれば、有害な人生脚本から抜けることができます。

 

 人生脚本を書き換えるもう一つの方法は、グールディング夫妻によって提唱された「再決断療法」(1979)です。これは、自分の幼児決断に気づき、再決断によって新しい人生脚本を構築する方法です。この心理療法では、幼児に行った拙い人生の決断を、現在の自分のAを発揮させることで、「いまここ」の自分に合う形に再度決断することで人生脚本の再構成を行います。

 「幼少の時から自分の人生の岐路においてその判断を行ってきた歪んだ人生脚本を直ちに捨てて、新しい人生脚本で生きることを再決断する心理療法」と言葉で書くのは簡単ですが、実はこれは大変困難なことです。人間は「わかっちゃいるけどやめられない」生き物です。意識していても慣れ親しんだ歪んだ人生脚本に基づいて生き方を決定してしまいます。精神分析学的にいうと自分が変化することに“無意識の中で”抵抗が働いて、今までのような行動をとってしまうのです。ここに人生脚本の強さと恐ろしさがあります。

 そこで「再決断療法」では、心理療法の「ゲシュタルト心理療法」の考え方と手法を用いてこの心理的抵抗を取り除いてゆきます。ゲシュタルト療法は、F・パールズによって創始された心理療法です。ゲシュタルトとは、ドイツ語で全体的にまとまりのある構造の意味で、ゲシュタルト心理療法において知覚は単なる知覚刺激によって感じられるわけではなく、知覚刺激やそれを感じる人の性質や状況などの影響が相まって、単独的な事象に還元できない体や個人や環境や他人などを含めた全体的な枠組みによって生じ規定されていると考えて心理現象をとらえてゆきます。つまり、体験・体感に基づく経験や感じ方が、人を変化させる原動力になると考えます。

 たとえば、アニーメーションは厳密にいえば静止画のコマ送りですが、それを見る人間の知覚の性質によって絵が動いているように知覚されます。人間の知覚では数秒間に何枚も変化する絵は動いていると知覚されるからです。しかしその裏には「何枚もの静止画がある」ことは知覚されずにいます。人の心の中の現象も同じように自分で気づいている部分と気付いていない部分があり、「いまここ」の時点における様々な自分に気づきそれを統合してゆくことが人の成長につながるとゲシュタルト心理療法では考えます。そしてその気づきを生むために、「いまここ」で感じている感覚や経験を重要視します。

 タバコを止められない人の例をあげて説明してみましょう。タバコは医学的に喉頭がんや食道がんや肺がんの発症率を高め、動脈硬化を引き起こすことから心筋梗塞や脳梗塞のリスクを高める等、習慣化すると健康を害し死に直結するリスクがあることが広く知られています。そしてニコチン等の薬理効果から、喫煙特有の快楽や依存性を人に引き起こします。このため禁煙したいと考えている人は多いですが、いざやめようと考えても多くは禁煙に失敗します。禁煙したいと考えている人が「いまここ」の感覚として健康上全く問題ないと感じている場合、タバコをやめたいと考えていてもそれを行動に移すことは依存性などの問題で難しいためです。しかし、その人がタバコの影響で体を壊し生死をさまよう経験をしていた場合はどうでしょうか。おそらく禁煙を本気で考え、それを実行する人は健康な時よりも多くなると思います。

 このように人間の行動は「いまここ」の実体験や感覚における気づきの影響を強く受けるのです。この禁煙行動の違いは言い換えると「いまここ」の自分と環境が関わっている感覚体験の中で、いまと直近で起こる将来に対して自分の責任の中で自分にとって望ましい選択をしているか否かということになるでしょう。本当なら病気になる前に禁煙したいものです。しかし、体験に基づかない感覚では、自分の感覚に責任を持って自身の行動を選択してゆくことが人には難しいことなのです。

 ゲシュタルト心理学ではこの「いまここ」で感じる感覚を重要視し、様々な手法が提案されています。一つの手法として人が環境や他者に責任転嫁する言動を問題視し、その修正を行う方法です。禁煙について例に挙げれば、その人に「タバコをやめられない」ではなく「私がタバコをやめない」という言い方に代えさせて、自分がその選択をしていることに「いまここ」の実体験として気づいてもらう方法をとります。こうすることで、自分の体験に基づき起こっている自分の感情、行動、思考に、責任を持つことができ、「自分が選んでタバコをやめなかった」という気が付けていなかった自分を統合することができ、自分にとってより適切で柔軟な行動選択に繋げることができるようになります。

 もう一つ空き椅子(エンプティチェア)を用いた有名な技法がゲシュタルト心理療法にはあります。人の中には相反する2つの価値観や感情が葛藤・対立し行動を規定したり、もしくは妨げているようなことがあります。このような心の中で2つのことに価値を置いた感情を両価的(アンビバレント;Ambivalent)な感情といいます。このような分裂した心の内に生じる心象を、2つの向かい合った空いた椅子に交互に座りながらそれぞれの立場に立って発言してもらいます。その中で人はそれぞれの立場の言い分を明確にしながら、そのアンビバレントな感情に今ここの体験を通じて実体験することになります。このように敵対する二者は充分に攻め合うと、お互いの肯定的な部分に気づくようになります。そしてお互いを許容できる着地点を体験の中から発見することになります。このようにして心が平穏を獲得する原理を心理的恒常性(ホメオスタシス)といいます。このような体験に基づく気付きは自身の葛藤感情を統合する働きがあると考えられており、人格の変容過程つまり人生脚本の再決断の過程に利用されるようになりました。このように再決断療法は自我状態や対話分析、心理ゲームや人生脚本などの交流分析の考え方をベースに、「いまここ」の実体験を重視するゲシュタルト心理学の手法を取り入れて、適応不全に陥っている幼児決断を再決断する方法として利用されています。

 

 ここに挙げたことは歪んだ有害な人生脚本に別れを告げ、自分の望む人生脚本を手に入れる方法の一部です。人生脚本の影響力は強く、新しい人生脚本を手に入れることは容易ではありません。他人が変わってほしいと思っても、その当人が変わる気がなければその人が新しい人生脚本を手にすることはできないということが人生脚本を書き換える際のポイントです。

 獣医師が幼児決断に基づく人生脚本から診療業務に支障を来すことが多いと感じるならば、自分の歪んだ人生脚本に気づき、自分の望む新しい人生脚本を獲得する努力を行う必要があるでしょう。また、飼い主も歪んだ人生脚本を持ち、それを診察室に持ち込んでくることもあると考えられますが、動物病院で獣医師が飼い主の人生脚本について取り扱うことは原則出来ない事も知っておく必要があります。動物病院は動物を治療するために訪れる場所ですから、飼い主は動物の治療を希望します。ペットが罹患した病気は、ときに人生脚本が関係した飼い主の飼い方が原因で生じている場合がありますが、飼い主は、自身の人生脚本を変革することを望んで来院するわけではありません。人生脚本は体験に基づいてその有害性が自覚されたとき、自分の責任において初めて変容できるものなので、動物病院に来院している飼い主にはその動機付けが存在しないからです。ただ、人生脚本の概念を知ることで、診察室で獣医師が飼い主にできることもあります。獣医師ができることは、飼い主の人生脚本に思いを巡らせ、飼い主の持つ歪んだ拮抗禁止令や禁止令に飼い主自身が許しを与えられるような環境を提供することです。この環境は、獣医師が交流分析的に自分自身に気づいていて、ラケット行動や心理ゲーム等ディスカウントを伴う言動を用いず、第一の立場から飼い主に対応することで提供できると考えられます。獣医師が「自分も他人もOK」の人生態度から飼い主に接すること、飼い主のラケット感情でない本当の感情に肯定的ストロークを与えること、飼い主のAの自我状態に向けて対話することは、飼い主が自身の歪んだ人生脚本を書き換えることを促す環境を提供できるかもしれません。

OKでないミニスクリプトにおけるドライバーとストッパーの対比表 と アロワーの対比表